ウィリアムズF1の空力責任者として有名な“セイウチノーズ”のFW26の開発に携わったエンジニアのアントニア・テルツィが、イギリスで自動車事故によって亡くなった。享年50歳。イタリア出身のアントニア・テルツィは、大学で流体力学を専攻し、1990年代後半にフェラーリF1に加入。フェラーリでの仕事ぶりに目をつけた当時ウィリアムズF1のテクニカルディレクターのパトリック・ヘッドがヘッドハンティングし、空力部門の責任者に任命。女性として初めてF1チームの主要ポジションに就いた。
ウィリアムズF1でアントニア・テルツィが最初に手掛けた大プロジェクトが、2004年F1マシンのウィリアムズ FW26だった。ツインキール構造を新たに導入したモノコックの性能を最大限まで引き出すべく、ノーズ下面への空気流増加を狙ってデザインされたFW26は、ウロントウイングを吊り下げる太くて短いノーズコーンから2本のステーが牙のように見えたことから“セイウチノーズ”というあだ名がつけられた。だが、結果的にこの大胆なフロント周りがマシンの姿勢変化に弱い性質を生み出し、ラップタイムが安定しないという事態に陥り、第13戦ハンガリーGPではセイウチノーズが廃止されてオーソドックスなものに変更され、フロントウイングの形状も見直された。その結果、第17戦日本GPでラフフ・シューマッハが復帰2戦目で2位表彰台を獲得。最終戦ブラジルGPではファン・パブロ・モントーヤが優勝でシーズンを締めくくった。コンストラクターズ選手権は4位で終えた。このシーズンで空力責任者のポジションをロイック・ビゴワに譲ることになったアントニア・テルツィは、フェラーリF1からオファーを断って、モータースポーツ界から去った。オランダで大学教員を務めた後、イギリスで空気力学の講義を行っていたアントニア・テルツィは、オーストラリア国立大学の講師を務めることが決まっていた。関連:F1マシン列伝:ウィリアムズ FW26 没落を招いた“セイウチノーズ”
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