ジャン・エリック・ベルニュは、レッドブル“ファミリー”内で「不機嫌そうなフランス人ドライバー」として認識されたことに苦しんでいたと語る。そのペルソナは、トロロッソのチームメイトであるダニエル・リカルドとは正反対だった。今日でもダニエル・リカルドは、陽気なオーストラリア人としてパドックで人気のドライバーだ。
ジャン・エリック・ベルニュは、2012年から2014年までトロロッソで3シーズンを過ごし、ドライバーズチャンピオンシップでの彼のポジションは毎年向上ていたが、2015年に17歳のマックス・フェルスタッペンにシートを奪われる形でF1を去った。2022年にFIA世界耐久選手権(WEC)でプジョーから参戦することが決まっているジャン・エリック・ベルニュは、F1キャリアの早い段階での自分の結果に対する不満が同僚に間違った雰囲気を与えた可能性があると語る。「僕の最大の問題は勝つことに慣れていたジュニアカテゴリーから来たことだと思う。毎週末ではないにしろ、僕が戦ってきたすべてのチャンピオンシップで勝っていたし、F3やフォーミュラ・ルノー3.5のすべてのレースで常に勝利を目指して戦っていた」とジャン・エリック・ベルニュは Beyond the Grid で語った。「F1に来る前、2位でフィニッシュしたときの僕はかなりうんざりしていた。僕にはその勝利のメンタリティがあったし、F1に来た最初のレースでポイント圏内にして、最後のラップで愚かなルーキーのミスしてポイントを失ったことを覚えている。チームは僕自身にはそれほど怒っていなかった」「マレーシアでの2回目のレースで、8位でポイントを獲得した。ラインを越えて、ハッピーだとは言わなかった。『OK、8位だ。悪くない』といった感じにね。そして、僕がガレージに行くと、レースに勝ったかのようにみんなが祝福してくれいたし、 憶を祝福してくれた」「でも、僕は『OK、それはいいね』といった感じだったけど、それは僕の気分をちょっと害した。『なぜこのチームは8位を祝っているのか? 僕は8位に満足していない。8位でフィニッシュするためにここにいるわけではない。表彰台を目指して戦いたい』とね」「当時、僕は完全に間違った考え方を持っていたと思う。もっと8位と9位を楽しんでいればよかったし、トロロッソのようなチームにとってはそれが良い結果だということを知っておくべきだった」「それでレッドブル内で不機嫌そうなフランス人ドライバーというイメージができてしまった。そして、リカルドの比較に苦しんだ」「彼が僕の後ろにいても、僕の前にいても、最後尾、10位、6位かに関わらず、いつも同じ笑顔だった。人々は彼のそこが好きだった。僕は少しその反対だった」その後、ジャン・エリック・ベルニュは、フォーミュラEでタイトルを連覇。その数年間はベルニュに明らかな成熟をもたらした。「もし戻ることができたら、もっと楽しむだろう」とジャン・エリック・ベルニュは語った。「もっと8位とか6位を楽しむだろう。また、レッドブル・ファミリー内でもう少し強く政治的に話すと思う。あまりにいい子すぎたと思う」「でも、それは経験によってもたらされることだ。そういうものだ。僕はF1でとても良い結果を出た。チームメイトだった2シーズンのうちの1シーズンはダニエルよりも多くのポイントを獲得し、最後の年ははるかに良かったと思う」