アルファ ロメオが、財政難でF1中国GPの欠場が噂されているザウバーを救済することになるかもしれない。2月に従業員300名への給与支払いの遅れが明らかになったザウバーは、さらなる財政問題に直面しているとみられている。F1バーレーンGPにはチームの共同保有者であるモニーシャ・カルテンボーンが姿をみせておらず、ザウバーの財政危機に対処するためにヒンウィルに残ったとの推測が広がっている。
そんな中、ザウバーの長期的なエンジンパートナーであるフェラーリが、グリッドで4番目に歴史のあるザウバーを存続するためにに介入するかもしれないとの報道が持ち上がった。最近、フィアットおよびフェラーリの代表を務めるセルジオ・マルキオンネは、レッドブルとトロ・ロッソの関係で、フェラーリのジュニアチームとしてアルファ ロメオのF1復帰のアイデアを唱えていた。セルジオ・マルキオンネは1月に「アルファ ロメオが他のF1チームのサポートなしで復帰することは難しいだろう。F1との提携が理想的だ」と述べていた。「アルファ ロメオがいかに人々の心に残っているかは信じられないくらいだ。まさにそのような理由で、我々はコンペティターとして、レース、F1にそれを戻すことについて考えている。アルファが復活することが重要だ」アルファ ロメオは、1950年に始まったF1世界選手権でニーニョ・ファリーアンが初代1位獲得者として名を刻み、初代ワールドチャンピオンを獲得するなど、F1で素晴らしい血統を持っている。1年後にはファン・マヌエル・ファンジオがアルファ ロメオでワールドチャンピオンを獲得している。アルファ ロメオは、1969年から1979年にF1チームにエンジンを供給したあと、1979年から1985年までワークスチームとして戦った。F1での最後のレースは1985年のF1オーストラリアGP。110のグランプリに参戦し、10勝を挙げている。元々、スクーデリア・フェラーリは、アルファ ロメオのドライバーだったエンツォ・フェラーリがドライバー仲間とともに設立し、アルファ ロメオのセミワークスチームとして活動を始めたことが起源。1951年イギリスGPで、フェラーリのマシンが古巣アルファ ロメオを破りF1初優勝した際のエンツォ・フェラーリの言葉「私は母親を殺してしまった」は有名である。昨年、レッドブルとルノーの関係が悪化した際、レッドブルもしくはトロ・ロッソがアルファ ロメオのブランド名を掲げたフェラーリ製エンジンを搭載することについて議論がなされたと報じられている。最終的にレッドブルはタグ・ホイヤーのバッチを付けたルノーのパワーユニットを搭載することになり、トロ・ロッソは1年落ちのフェラーリ製パワーユニットで今シーズンを戦っている。