2008年、フェラーリでの黄金時代に区切りをつけたジャン・トッドに、F1の勢力図を大きく変え得るオファーが届いていた。レッドブル創業者ディートリッヒ・マテシッツが、チームとモータースポーツ活動全体の指揮を託そうと接触していた事実が明らかになった。しかしトッドは、その誘いを受け入れなかった。後にFIA会長となる彼は、キャリアの転機において「競争の最前線」ではなく、別の道を選択していた。
フェラーリ退任直後に届いたレッドブルからのオファー1993年から2007年までフェラーリを率いたジャン・トッドは、コンストラクターズタイトル7回、ドライバーズタイトル6回という圧倒的な成功を築き上げた。その後2008年にチームを離れた直後、思いがけない誘いが舞い込む。「2008年に、自分は何かを社会に還元する時期だと決めた」とトッドは語った。「フェラーリを離れたとき、ディートリッヒ・マテシッツが私を迎えたいと考えていたのを覚えている。彼はパリの自宅に来て、2度ランチをともにした」当時のレッドブルは、まだタイトル争いの常連とは言えない発展途上のチームだった。そこにフェラーリ黄金期を築いたトッドが加わる可能性は、まさにF1の勢力図を塗り替えかねない構想だった。「この章は終わった」トッドが下した決断提示された役割は単なるアドバイザーではなく、チーム運営とモータースポーツ部門全体の統括だった。「チームを率い、レッドブルのモータースポーツ活動を指揮する役割だった。しかし私は断った。自分にとって、その章は終わっていたからだ」フェラーリで頂点を極めた後、同じ舞台でさらに上を目指す理由はなかったとトッドは振り返る。「象徴的なブランドを率い、成功を収めていた。ある意味で、それ以上は望めない。そして私は別のことに取り組みたかった」この決断は、レッドブルの将来だけでなく、F1全体の流れにも少なからず影響を与えた可能性がある。もしトッドが加入していれば、その後のタイトル争いの構図は全く異なるものになっていたかもしれない。競争の外に見出した新たな価値トッドの選択は単なるキャリア判断にとどまらず、人生観の変化を反映していた。「競争やお金が絡む世界では、人は大切なことを忘れてしまうことがある」「だからこそ、貧困や医療にアクセスできない人々、公共交通を利用できない人々を実際に見て、少しでも手を差し伸べることが重要だ」「世界を変えていると言うのはおこがましいかもしれないが、困っている人々の笑顔を見ることができれば、それもひとつの勝利だ。違う形の勝利だが、とても重要なことだと思う」フェラーリでの成功、レッドブルからの大型オファー、そしてその辞退。トッドの選択は、F1という競争の世界の外に、もうひとつの価値軸が存在することを示している。