ポルシェは、ル・マン24時間レースのGTE Proクラスで911 RSRの92号車(マン・デュマ/マルク・リーブ/リヒャルト・リーツ)が優勝。もう一台の91号車(イェルク・ベルクマイスター/ティモ・ベルンハルト/パトリック・ピレ)もGTE Proクラス2位でフィニッシュし、1-2フィニッシュを達成した。GTE-Amクラスでは、カスタマーチームIMSAパフォーマンスマットマットのポルシェ911 GT3 RSR 76号車が勝利。
この2クラスでの勝利は、ポルシェのル・マン24時間レースでの99勝目と100勝目にあたり、世界的に知られる耐久レースの歴史に新たな1ページを加えた。第81回目のル・マン24時間レースは、時々雨に見舞われ、変わりやすい天候の過酷な条件のもと行われたが、今年デビューしたポルシェ911 RSRによる初めての勝利はレース後の安堵感を、さらに大きいものにした。ゴールラインでは、ポルシェAGチーム・マンタイのチーム全員がピットの壁に立ち、彼らの栄光を讃えた。その中には、ポルシェのピットで常にレースを見守ってきた、ポルシェAGの監査役会会長を務めるDr. ヴォルフガング・ポルシェとポルシェAG 社長のマティアス・ミューラー、そして同じく監査役会のヴォルフガング・ハッツ(研究開発部門)とベルンハルト・マイヤー(セールス&マーケティング)の姿もあった。FIA世界耐久選手権(WEC)の第3戦であるル・マンにおいて、2台の911 RSRはスタート直後から3番手前後を走り、揃って入賞を狙える位置につけた。素晴らしいラップタイムと信頼性によって、特に92号車の911はスタートからトップを伺った。ピットストップも順調で、燃料補給、タイヤおよびドライバーチェンジといったルーティーン作業のみを行い、クルマをサーキットに送り出した。2台の911 RSRは、91号車がライバル車と衝突してリアライトを交換したことを除き、小さな技術トラブルもなく完走した。また91号車のステアリングを握っていたイェルク・ベルクマイスターは、スタート直後すぐ目の前にセーフティカーが入ったことで約2分の遅れを強いられた。部分的に濡れた過酷なサーキットに苦労するライバルに比べ、911 RSRはトラブルもなく一貫して最速のラップタイムを刻んで夜の走行を安全に終え、初勝利を手繰り寄せた。ゴールの1時間前には土砂降りの雨が降り、後続車が最終アタックを仕掛けたが、91号車のリヒャルト・リーツは動じなかた。終盤、91号車もアストンマーチンとフェラーリを抑えて2位に順位を上げ、ポルシェのワークスドライバーは、ワンツー フィニッシュを手中に収めた。GTE-Amクラスでは、3台のポルシェ911 GT3 RSRがトップを快走。レイモン・ナラック、クリストフ・ブレおよび今シーズン、ポルシェ・モービル1・スーパーカップでポルシェのサポートを受けているジャン・カール・ヴェルナイのチームがチェッカーフラッグを受け、勝利を収めた。これは2012ポルシェ インターナショナル・カップ奨学金を獲得したジャン・カール・ヴェルナイにとっては、夢が叶った瞬間だった。デンプシー・デル・ピエロ・プロトン911 GT3 RSRをドライブしたのは、ポルシェのワークスドライバーであるパトリック・ロングとジョー・フォスター、そしてレーシングドライバーでもある俳優のパトリック・デンプシーで、全員がアメリカ人だった。デンプシーは、時折リードを奪う走りを見せていたが、自らのミスではなく、1台のスポーツプロトタイプにコース外に押し出され、ポルシェでのル・マン初優勝の夢が断たれた。また、デンマークのアラン・シモンセンの死が、ル・マンのレースに暗い影を落とした。レース4周目、アストンマーチンをドライブするシモンセンが、高速のテルトル・ルージュ・コーナーのバリアに突っ込み、24時間サーキット・メディカル・センターに重体で運び込まれた後、間もなく亡くなった。ポルシェAGの監査役会会長であるDr.ヴォルフガング・ポルシェは、「今回のル・マン24時間レースでは、911 RSRでクラス99勝目および100勝目のダブル優勝を遂げ、ポルシェはすばらしい成功を収めました。この勝利に貢献した全員に、祝辞を贈ります。しかし、私達の喜びは、アラン・シモンセンの死に対する悲しみとショックにより複雑なものとなってしまいました。私達は、情熱的なレーサーを失っただけではなく、ポルシェのモータースポーツ・ファミリーの良き友人を失いました。彼は、2007年にポルシェでル・マン24時間レースのデビューを飾りました。また、2005年には、当社のワークスドライバーであるマルク・リーブとともに、ル・マン耐久シリーズの2戦をポルシェで戦った歴史もあります。彼の家族ならびにアストンマーチン・チーム、および彼のチームメートに心からのお悔やみを申し上げます」とコメント。ポルシェAGの社長であるマティアス・ミューラーは、「この魅力に溢れた24時間は、私達のほとんどが体験したことのないアクション満載のレースでした。ル・マンは、最初から最後までエキサイティングなものでした。最終的には運が私達に味方してくれました。アストンマーチンは、とてつもない強敵でした。私達は今、事故で他界したアラン・シモンセンのことを想わずにはいられません。これは、モータースポーツ界およびアストンマーチンにとって、大きな悲劇です。しかし一方で、ポルシェはGTレースで勝つマニュファクチュアラーであることを再度証明しました。これは、2014年への希望となります」と述べた。ポルシェAGの研究開発担当役員であるヴォルフガング・ハッツは、「私は、チーム全員で成し遂げた偉業に、信じられないほど強い誇りを感じています。GTE-Proクラスでのワンツーフィニッシュと、当社のカスタマーチームによるGTE-Amクラスでの優勝は、これ以上望むことのできない結果です」と語っています。ポルシェのモータースポーツ部門のトップであるハルトムート・クリステンは、「911の50周年と、ここル・マンにおいて最後にワークスチームで参戦してから15年にあたる今年、想像し得る最高の結果を達成することができました。私はワークスチームのみの話をしているわけではありません。当社のカスタマーチームもすばらしい活躍を見せてくれました。これ以上望むことはありません。観客にとってレースはスリリングで、私達にとっては神経がすり減るものでしたが、この結果で報われました」と話した。ポルシェAGチーム・マンタイの監督であるオラフ・マンタイは、「私達の成功に言葉を失った状態です。最後から2回目にセーフティカーが入った時点で、私はそれほど楽観していませんでした...
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