ポルシェは、親会社がル・マンで同じグループのアウディと戦うことを拒んだ場合はF1に参入する以外の選択肢はなかったと明かした。ポルシェのLMP1への復帰が決定に迫っていた2010年頃、ポルシェのマティアス・ミューラー社長や他の上級スタッフは、F1復帰について公然と口にしていた。
ポルシェAGの研究開発担当役員であるヴォルフガング・ハッツは、1990年代以来となる“モータースポーツの最前線”に復帰する方法を決定する際、F1とLMP1への復帰が唯一の選択肢だったと認めた。ヴォルフガング・ハッツは、2009年にポルシェの株主となったフォルクスワーゲン・グループが、1998年の16回目の優勝以来となるポルシェのル・マンへの参戦を阻止していたら、F1に参戦せざるを得なかっただろうと説明した。「F1もしくはLMPの2つの選択肢しかなかった」とヴォルフガング・ハッツは述べた。「だが、ル・マンは我々の第2のホームだ」「グループの誰かが『そうだね。だが、アウディがいる。アウディと競争することはできない』と言っていたら、影響を及ぼしていただろう」「経営陣の誰かがそれは不可能だといえば、我々にはF1以外に選択肢はなかった」ポルシェは、2011年6月にWEC世界耐久選手権に2014年から3年間参戦することを発表したが、ヴォルフガング・ハッツはそれ以降のモータースポーツ活動についてはおそらく来年決定するだろうと述べた。
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