セルジオ・ペレスは、2021年にF1を去らなければならない危機に直面している。レーシング・ポイントは、アストンマーティンF1にブランド変更する2021年にセルジオ・ペレスに代えて4回のF1ワールドチャンピオンであるセバスチャン・ベッテルを起用することを決定。長年チームに所属したペレスはシートを失うことになった。
現在、セルジオ・ペレスの唯一の選択肢は、ニコ・ヒュルケンベルグと争っているレッドブル・レーシングのシートとなっている。だが、8年前はペレスにとって世界は非常に異なるものだった。2011年、フェラーリ・ドライバー・アカデミーのメンバーとなったセルジオ・ペレスはザウバーからF1デビュー。ポイントではチームメイトの小林可夢偉を下回ったものの、予選では可夢偉を圧倒していた。そして、2012年のF1マレーシアGPでは戦闘力に劣るザウバーのマシンでマクラーレンのルイス・ハミルトンを倒し、フェラーリのフェルナンド・アロンソを追い詰めて2位表彰台を獲得。評価はうなぎのぼりに向上した。1年後、セルジオ・ペレスは重大な決断を下すことになった。フェラーリ・ドライバー・アカデミーのメンバーとしてフェラーリに忠実であり続けるか、もしくはマクラーレンに移籍するという決断を迫られ、さらにはメルセデスの選択肢でさえあった。「メルセデスと交渉していたけど、それはハイルトン次第だった。僕はセカンドチョイスだと彼に言われた」とセルジオ・ペレスは Formula1.com に語る。最終的にセルジオ・ペレスは2013年末にメルセデスに移籍。しかし、フェラーリ移籍の可能性もあった。「2013年はフェラーリのシートに近かった。とても近かった。後から考えると、マクラーレンに行かなければ、フェラーリに行っていたかもしれない。F1では状況が急速に変化していた。当時はマクラーレンが優勢だったのし、彼らは僕に契約をオファーしてくれた。それは理にかなっていた。残念ながら、それは報われなかった。マシンはかなり酷く、表彰台を獲得することはできなかったし、ポイント圏外で戦ったいた。それ以来、多くことが変わっていった」