ニッキー・ヘイデンが、イタリアでトレーニング中に交通事故に遭い、2017年5月22日に死亡した。享年35歳。スーパーバイク世界選手権に参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、17日にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先のチェゼーナ市内の病院で集中治療が行われていたが、22日に病院側から死亡が発表された。
トミー・ヘイデンからの声明「ヘイデン家と婚約者ジャッキーを代表し、皆さんの支援メッセージに感謝したいと思います。ニッキーがこれほど多くの人たちに、ポジティブな形で関与していたことを知り、私たちにとっては大きな慰めとなります。悲しいときですが、私たちはニッキーが最も幸せだったこと、オートバイレースを思い出として記憶に残してもらいたいです。彼は子供の頃にプロライダーになることを夢に見ただけでなく、ワールドチャンピオンという選んだスポーツの頂点に到達することができました。私たちはそれを大変誇りに思います。公的な記憶とは別として、家族の中心にあるケンタッキーの自宅には、ニッキーの素晴らしく、幸せな思い出があり、私たちは大変恋しく思います。私たちにとって、素晴らしい支援をいただいた病院の全ての関係者に感謝することは大切なことです。大変親切な対応でした。今後、関係当局の更なる支援により、ニッキーが直ぐに帰宅できることを願います。」2016年にMotoGPチャンピオン獲得。レジェンドライダーとして殿堂入りアメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のニッキー・ヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGPクラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。同年には、MotoGPクラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。