メルセデスのF1チーム代表を務めるトト・ヴォルフが、ニキ・ラウダの逝去に対する哀悼の意を表明。F1とメルセデスF1チームは“ヒーロー”“先導者”を失ったと語った。昨年8月に肝移植の手術を受けるなど、肺と肝臓の疾患を患っていたニキ・ラウダは、5月20日(月)に家族に見守られながら息を引き取った。享年70歳。
3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、メルセデスの非常勤取締役としてもF1パドックで馴染の顔だった。親友であり、同僚だったトト・ヴォルフは、ニキ・ラウダに哀悼の意を表し、メルセデスとF1は英雄を失ったと語った。「まず最初に、チーム、そして、メルセデスを代表して、ビルギット(妻)、ニキのお子さん、ご家族、親しい友人にお悔やみ申し上げます」とトト・ヴォルフは述べた。「ニキはずっと我々のスポーツの最大のレジェンドであり続けるでしょう。彼はコックピット内外で英雄的資質、人間らしさ、誠実さを兼ね備えていました」「彼の逝去はF1に空白を残します。我々は今まで目にしたなかで最も驚くべきカムバックを果たしたヒーロであるだけでなく、現在のF1にとって貴重な明快さと勇気をもたらしました。彼が亡くなったことを寂しく思う気持ちは我々の共有の声でしょう」「我々メルセデスチームも先導者を失いました。過去6年半にわたるチームメイトとしてニキは常に本音を言ってくれました。そして、本当に忠実でした。彼を我々のチームの一員として数え、チームの成功の一員として彼がどれくらいの意味を持つかを目撃できたことは特権でした。彼がブラックリーとブリックワースのフロアを歩いたり、有名なやる気を起こさせるスピーチをするたびに、彼は他の誰にも再現することはできないエネルギーをもたらしてくれました」「ニキ、あなたは非常にシンプルに言ってかけがえのない人です。あなたのような人は他にはいません」「あなたを我々の会長と呼べることは私たちの名誉でした。そして、あなたを友人と呼べることは私の特権です」1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。その年は1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得している。1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。