小林可夢偉が、トヨタがF1から撤退して以降のF1キャリアについて振り返った。トヨタF1のリザーブドライバーを務めていた小林可夢偉は、負傷したティモ・グロックに代わって2009年のF1ブラジルGPでF1デビュー。日本人として18人目のF1ドライバーとなった。
F1ブラジルGPでは予選11位を記録し、決勝ではチャンピオンであるジェンソン・バトンを抑えて一時は3位までポジションを上げるが、入賞に一歩届かず9位でフィニッシュ。実戦F1アブダビGPでもドライバーを務めた小林可夢偉はチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。翌年のトヨタF1のレギュラーシート昇格が期待されていた小林可夢偉だったが、シーズン終了後、トヨタはF1撤退を発表。シートがない状況に陥った。トヨタがF1から撤退しようとしていることは知っていたかと質問された小林可夢偉は「いいえ。噂があることは知っていましたが、通常、チームがすぐに辞めることはないですからね。通常はもう1年残ります」と Beyond the Grid Podcast に語った。「そういうわけで、それについてあまり心配していなかったので、驚きでしたね。アブダビの後に電話があり、ドイツに会議のために向かいました。てっきり2010年のオファーだと思っていました。でも、実際の会議はトヨタがF1を撤退するというものだった。非常にショックを受けました」小林可夢偉は、その後もトヨタとのコネクションを保っていたが、2010年にはトヨタ以外のドライブを探すことを余儀なくされた。幸い、そのシートはザウバーで利用可能になった。小林可夢偉は、2012年のF1日本GPでホームファンの前で3位表彰台を獲得してその名を馳せた。そのアグレッシブなドライビングスタイルと素晴らしいタイヤマネジメントで小林可夢偉はF1ファンの心を勝ち取った。だが、悲しいことに、ザウバーが財政難に陥ったことで小林可夢偉は2012年シーズンでシートを喪失する。「ザウバーは経済的な問題を抱えていたので驚きはしませんでした」と小林可夢偉はザウバーのシート喪失について語った。「ザウバーとの機会には本当に感謝しています。僕の出身地はF1から遠く離れたところにありますし、僕の家族はモータースポーツの出身ではありません」「カートを始めた若い頃は、F1がどういうものかも分からず、とにかくレーシングドライバーになりたいと思っていました。だから、そこからF1まで行けたことは、すでに自分が期待していたものとは違う何かだったと感じています」「その年(2012年)は悪い仕事をしていたわけではなかったので本当に残念でした。ザウバーのシートを失うことは本当に残念でしたが、一方で、F1で自分が何ができるかを示すのに十分なほど他の強いチームからのオファーはありませんでした」「結局、F1での経験は僕にとって本当に素晴らしいものだったと思います」小林可夢偉は、2014年に競争力のあるF1シートを見つけるための年として2013年を使用することを決定したが、その間にフェラーリのテストドライバーに就任。フェラーリのGTプログラムにも参加してAFコルセからWECに参戦した。だが、2014年に小林可夢偉はフェラーリからの拡張されたテストドライバーのオファーを断り、代わりにポイントを獲得できていなかったバックマーカーのケーターハムとF1グリッドに戻った。そして、それがF1での最後のシーズンとなった。「とても難しい決定でした。フェラーリと契約を結んでいましたが、F1プログラムに参加するというオプションはありませんでした」と小林可夢偉は振り返る。「GTプログラムには参加できたかもしれませんが、F1はありませんでした。何度かテストを行うことはできたかもしれませんが、1年後には多くのテストはできなくなる状況でした」「だから、そこにはいたくなかったし、自分がフェラーリでレースをすることは想像できませんでした。だからこそ、強いチームではありませんでしたが、ケータハムとの他の選択肢を選びました。F1にいるだけでしたが、そこで本当に良い結果を得ることができれば、より現実的な選択肢だったと思っています」小林可夢偉はF1から離れて以降に成功を収め、トヨタのドライバーとして2019-2020シーズンのFIA 世界耐久選手権のタイトルを獲得。ル・マンでは3回の2位フィニッシュをしている。しかし、F1への復帰の可能性については「テレビで見ることにかなり満足しています」と小林可夢偉は語った。
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