本田技研工業の創業者である本田宗一郎の長男で、無限(現M-TEC)の創業者である本田博俊が、マクラーレン・ホンダの不遇の3年間を過ごしたフェルナンド・アロンソへの同情を語った。2015年に3度目のワールドチャンピオン獲得への期待を胸にフェラーリからマクラーレン・ホンダに加入したフェルナンド・アロンソだが、ホンダの信頼性とパフォーマンス不足によってこの3シーズンで優勝はおろか、表彰台に上がることもできなかった。
マクラーレンは、今シーズン限りでホンダとのパートナーシップを解消し、2018年からルノーにパワーユニットを変更することを決定。フェルナンド・アロンソがホンダと決別するようにマクラーレンに働きかけたとの噂もある。フランスの L’Equipe の取材に応じた本田博俊(75歳)は「アロンソは、若く、知的で、魅力的な男だ」とコメント。「彼が大きな失望を抱えている理由は容易に理解することができる」無限時代、本田博俊はホンダのF1撤退の後をついで1992年からF1に参戦し、フットワーク、ロータス、リジェ、ジョーダンへエンジンを供給。また、童夢と組んでF1参戦を計画し、テストカー童夢・F105を開発。カート時代より支援してきた中野信治のF1デビューをバックアップしている。「プロスポーツ選手の寿命はとても短い。彼のキャリアで非常に重要な3年間を失うことはストレスだ。だが、それは私のせいではない。ホンダに言ってくれ!」と本田博俊は述べた。それに先立ち、ホンダはF1の運営体制を変更。この2年間、F1プロジェクト総責任者を務めてきた長谷川祐介をF1プロジェクトから外し、技術開発とレース現場指揮監督の責任を担ってきた同ポジションを廃止。開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化させるべく、現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置。F1、CARTなどのレース現場の第一線で活躍してきた田辺豊治を初代テクニカルディレクターに任命した。「ひとつだけ確信していることがある。日本人にはF1で戦うという文化がある。我々は非常に礼儀正しいかもしれないが、戦うことができる」と本田博俊コメント。また、1991年に84歳で亡くなった父の本田宗一郎について「私の父は本当の戦士だったし、2番になることを嫌っていた」とコメント。「彼が亡くなる少し前、(アイルトン)セナがもはや勝つことができなくなっていたとき、私の父は病院のベッドから文句を言っていた」