ルイス・ハミルトンが、アイルトン・セナの没後20年に寄せて自身のウェブサイトでアイルトン・セナへの思いを語った。ルイス・ハミルトンは、幼い頃からアイルトン・セナに憧れていることを公言しており、ヘルメットのカラーリングも同じイエローをモチーフにしてきた。アイルトン・セナが亡くなって20年が経ち、改めてアイルトン・セナが自身に与えた影響について語った。
「全員が、勝者を愛している。世界とはそういうものだ。そして、アイルトン・セナはこれまでこのスポーツで最も偉大な勝者のひとりだった。でも、それ以上でもある。彼は本物のヒーローだったし、世界中の人々を興奮させるアイコン的な人格の持ち主だった。僕が成長していたとき、彼は僕に大きな影響を与えた」「僕が子供の頃、僕たちの家族はスティーブニッジに住んでいた」「僕が4〜5歳くらいのときに父親とF1を見始めた。僕はクルマが大好きだった。当時、アイルトン・セナとアラン・プロストが上位を走っていて、すぐに僕の心を捕らえた。アイルトンは、レース後のインテビューでいつもとてもクールだったし、冷静だった」「彼を見て、彼の成功を追いかけていった。ちょっと大きくなって、彼についてもう少し知りたくなっていった」「父は僕が彼のドライビングに興味を持っていて、それらが僕を励ましているのに気づいて、セナという男についてもっと多くを教えてくれる本を買ってくれた。10代前半のときは図書館でたくさんの本を借りるようになった」「彼の人格を理解し、彼のレースへの驚くべきアプローチの良さがわかった。彼はブラジルにいた少年のことにレースを始めて、僕と同じように父親がカートで手助けをしてくれたことを知った。彼は夢を追い求めて20歳くらいでイングランドに引っ越した。その献身に感銘を受けた」「でも、最も重要だったのは、アイルトン・セナが徹底したレーサーだったことだ。本当にそこに共感した。まさに僕が感じていることだ。僕が子供の頃から彼と繋がっているように感じているのはそれが理由だ」「僕はレースがしたい。そして、彼は僕がこれまで見た唯一の本物のレーサーのように感じる。彼はアラン・プロストとは正反対だったし。二人のバトルは壮大な戦いだったし、空前の対立関係のひとつになった」「プロストはより懸命なドライバーとして知られていた。彼の方が年上だったし、より用心深く、思慮深いように見えた。クルマ内外ではセナとは異なるアプローチだった。でも、セナは本当に才能そのものだった。彼はそれを豊富に持っていた。彼は大部分で良いクルマに乗っていたのでそれを示すことができたけど、彼にはそのような素晴らしい能力があったので、良いクルマを得られたのだということを忘れてはならない」「今見ても80年代後半のマクレーンでの一対一のバトルは魅力的だ。両方のドライバーがピークにいたし、限界までプッシュしている二人のテープを見るのは今でも刺激的だ」「今日の僕の走り方の多くは、彼の走り方に影響を受けている」「人々は僕がアグレッシブなスタイルだというけど、僕はそれが全て自分のものだとは思わないときがある。部分的に若い頃にアイルトン・セナを観たからだと思う。チャンスが得たときは『これが僕がやりたい走り方だ』と思ったし、カートトラックでそれを試した。そして、僕のレースへの全体的なアプローチはそこから発展していった」「彼はそのような人を引き付けるパーソナリティの持ち主でもある。特に彼の傷つきやすいところと素直なところが好きだ。彼にはなくなる一面前に一度だけ会ったことがあるけど、ずっと僕に影響を残している。子供として会うものだし、スーパーヒーローだと考える。でも、誰にでも弱さはある。そして、全てのセナの輝きと功績に関して彼もそうだった」「彼がどのようにそれを克服したのか、そして、自分が関係した危険性を含めて彼がしたことをあのように雄弁に語っていたのはとても魅力的だった。彼が神と信仰との関係についてオープンだったことにも影響を受けた」「そのようなことと一緒に僕は育ったけど、若いときにそれについて話すのは、周りの多くの人々、家族の一部にさえ顰蹙を買った。でも、今はそれをオープンにできると感じている。それはセナのせいではない。僕が今、大人になったからだと思う。でも、それももうひとつの繋がりだ」「この5月1日は僕にとって回想の一日だ。20年前の1994年のサンマリのグランプリで彼がクラッシュしたときのことは覚えている。家族に自分の感情を見せるのは難しかったし、静かなところに行った」「わずか9歳だったし、数日間、出来事の大きさを実際に理解するのがとても難しかった。ヒーローがいなくなってしまったことをね」「アイルトン・セナは、永遠に記憶に残り、称賛される驚くべき伝説だった。彼はめったにない偉大さを持っていた。今でもまだ彼のレースへのアプローチや走りから学ぶことができる」