シャルル・ルクレールは、2015年にこの世を去った幼馴染のジュール・ビアンキの方が自分よりもフェラーリのF1シートに値するドライバーだったと語る。二人はジュニアカテゴリーで同じように腕を上げていき、8歳年上のジュール・ビアンキが先にF1に到達した。ビアンキは、シャルル・ルクレールと同じようにフェラーリ・ドライバー・アカデミーに所属し、フェラーリのF1マシンを数回テストしていた。
フェラーリのカスタマーだったマルシャでF1デビューを果たしたジュール・ビアンキは、2015年に同じくフェラーリのF1エンジンを搭載するザウバーに移籍してステップアップを果たす予定だった。フェラーリでの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。最近、ルノーのF1ドライバーであるダニエル・リカルドは、ジュール・ビアンキをこれまでで最も過少評価されているライバルの一人として名前を挙げている。ダニエル・リカルドは「ビアンキはトップチームに行けたはずだし、今頃、確実にレースウイナーになっていただろう」とコメント。「時々、シャルルがジュールがやろうとしていたことを代わりに実現しているように感じることがあるんだ。シャルルの成功はまるで少し遅れたジュールの別バージョンのようだ」シャルル・ルクレールは、自身のキャリアがいかにジュール・ビアンキのキャリアとオーバーラップしているかを説明した。「ジュールの父と私の父は、僕たちが非常に似たキャリアを送っているといつも冗談を言っていた。奇妙なことに、彼が非常に悪いレースをすると、僕も同じ週末に非常に悪いレースをしていた。彼らはいつもこれについて冗談を言っていた」「僕たちのキャリアも非常に似通っていた。私のマネージャーであるニコラス(トッド)も僕たち二人にだいたい同じ道を歩ませていた」ジュール・ビアンキは、2014年にF1モナコGPでマルシャに初ポイントをもたらすなど、F1のトップチームで成功するポテンシャルがあることを示していたとシャルル・ルクレールは語る。「ジュールは、F1で示さなければならなかったものを示していたと確信している。彼がマルシアにいたときのモナコのような結果は彼の才能について多くを物語っていると思う」「だから、彼は間違いなくF1シートに相応しい。たぶん僕よりもフェラーリのシートに値していたと思う。でも、残念ながら、彼の状況は他のことによって決まってしまった。彼はおそらく私が成し遂げているよりもさらに多くのことを示していたと確信している。彼は非常に才能があった」