ロータス・レーシングとケータハムF1チームのオーナーとしてF1に3年間参戦したマレーシアの実業家トニー・フェルナンデスは、約束された予算削減が実行されなかったことで、プロジェクトは崩壊したと述べた。トニー・フェルナンデスは「F1は私にとって大催事だた。我々はあまりうまくやることができなかった」と BBC Radio にコメント。
「私は最大のブランドのいくつかとグリッド上にいた。私にとって、人生とは成功が重要だ。信じたことをやっていくことがね。フェラーリ、マクラーレン、そして、私のヒーローであるフランク・ウィリアムズがいた。私が同じグリッドにいたことはご存じたと思う・・・後方ではあたが、私は同じグリッドにいた。私はそこにいた」2010年、トニー・フェルナンデスのチームは、ヒスパニア・レーシング(HRT)、ヴァージンとともにF1に新規参入を果たしたが、財政的な問題により、今ではどのチームもF1グリッドには残っていない。確立されたチームが、新たなプライベートチームがF1で生き残れるように譲歩することを望まなかったのではないかと質問されたトニー・フェルナンデスは「そうだね。それは100%正解だ」とコメント。「マックス・モズレー(当時のFIA会長)から、スポーツはコストを半分にすると約束されていた。それは全員に公正な戦いを与えただろう。だが、実際にはそれは起こらなかったし、コストは上昇し続けた」「F1は、エンジニアや自動車メーカーがあまりに支配的になりすぎたし、とにかく持続可能ではなかった。全員が今苦しんでいると思うし、F1はちょっとした行進のようになった」「私は学生時代にF1を見始めた・・・エディ・ジョーダンがやってきて、チームを作り、その年、もしくは1年後には彼はレースに勝つことができた。もうそれが起こることは決してない」新規参入した3チームが崩壊した以降、新チームは2016年に参戦を開始したハースだけとなっている。そして、ハースは現在、ミッドフィールドで戦っている。「現在、ハースは良い仕事をしているが、彼は長い間ずっとNASCARをやってきた」とトニー・フェルナンデスはコメント。「F1について悲しいことは、私が育ったときはドライバーが主役だったが、今では多くのドライバーがシートを獲得するために資金を持ち込まなければならなくなったことだ。最高の才能をもったドライバーでもF1に入れないことがある」56戦を戦った後、ケータハムは2014年のF1アブダビGPを最後にF1から撤退。トニー・フェルナンデスもプロジェクトを終了した。その3年間で、マーカス・エリクソン、ギド・ヴァン・デル・ガルデ、小林可夢偉、ヘイキ・コバライネン、ヴィタリー・ペトロフ、シャルル・ピック、ヤルノ・トゥルーリがドライバーを務めた。