フラビオ・ブリアトーレが「アルピーヌF1のチーム代表」として正式に認められていようといまいと、重要なのは彼がチーム内に存在しているという事実である。過去に論争を巻き起こしてきた人物であり、流暢とは言えない英語や独特な風貌に否定的な声も少なくない。しかし、そうした側面こそが、現在のF1界における彼の“資格”でもある。ブリアトーレはF1の最前線で結果を出し、その功績と論争の両方を背負いながら、確かに「いた」人物だ。
彼の手法は時に常識外れとも評されるが、幹部が次々と入れ替わるアルピーヌF1にとっては、むしろその型破りなスタイルこそが価値となる。マイケル・シューマッハとフェルナンド・アロンソという2人のワールドチャンピオンを輩出したブリアトーレの経歴は、F1界屈指の実績を物語るものだ。一方で、その経歴には「クラッシュゲート」という汚点も刻まれている。2008年シンガポールGPで、ネルソン・ピケJr.に故意のクラッシュを指示したとされるこの事件は、F1史に残るスキャンダルとなった。当時、ブリアトーレはFIAから無期限の資格停止処分を受けたが、後にフランスの高等裁判所が彼の関与を否定し、処分は無効とされた。F1から離れた後は、高級ファッションブランドの経営やナイトクラブ・レストランの展開に注力していたが、2024年にはアルピーヌF1の「エグゼクティブ・アドバイザー」として電撃復帰を果たした。過去にも、1997年にベネトンを世界王者へと導いた後にF1を離れたことがある。そのときも、彼の退場は賛否を呼んだ。ブリアトーレという人物は、関わった人々の間で極端に評価が分かれる存在だ。1989年、ジョニー・ハーバートをシーズン中に解雇した際の対応も物議を醸した。当時ブリアトーレは、「モータースポーツの経験はないが、F1ドライバーには2本の足が必要だ。ジョニーにはそれがなかった」と述べた。これはF3000での大クラッシュによる重傷を負ったハーバートの足を指した発言だった。当時は英メディアを中心に激しい反発を招いたが、後にハーバート自身が「早すぎたデビューだった」と認めたことで、この判断が間違いではなかったことが証明された。ブリアトーレがF1にもたらしたのは、実績だけではない。風洞ではなく“スペッタコロ(ショー)”を重視し、キャップを後ろ向きにかぶり、常にタバコをくわえるその姿は、保守的なF1界に新風を巻き起こした。彼の「喫煙許可証付きパス」がピットレーンで役人を混乱させた逸話も残る。1995年の日本GPでベネトンがタイトルを獲得した夜、チームは夜通しで祝勝会を行い、翌朝の関西空港ではブリアトーレがジーンズにシャツを出したラフな格好でファーストクラスに現れた。その姿は、F1における勝者の余裕を象徴する光景として語り継がれている。2013年、モナコでのインタビューでは、ブリアトーレはF1の現状に疑問を呈し、次のように語っている。「今のF1は狂っている。空力だけで170人もいる。これはもうドライバーの世界選手権じゃない。風洞の世界選手権だ」「我々の時代のように、ウイングで遊ぶくらいならいいが、今ではファクトリーからテレメトリーが飛んでくる。レース中に工場で30人がサポートしているなんて、完全におかしい」「F1側はエンジンの話や市販車との関係を語るけど、我々がチャンピオンを獲ったとき、誰も『何気筒のエンジンか』なんて聞かなかった。皆、レースで何が起きたか、どんなショーだったかを話したがった」「予算が5万ドルでも1億ドルでも、観客は関係ない。観客はとにかく面白いレースを見たいだけなんだ。いくら収入があっても、そのぶんすぐに使ってしまうのがF1チームというものだ」現在のF1においても、ブリアトーレが当時語ったこうした本質的な視点は、多くの関係者にとって響くものがある。彼がアルピーヌF1に公式にどのような肩書きで関与していようと、その存在は無視できない。“チーム代表”という名称の有無を超えて、フラビオ・ブリアトーレは確かにF1の現場に帰ってきた。そして、それがすでに大きな意味を持っている。