フェルナンド・アロンソのF1キャリアを歴代のF1マシンで振り返る。フェルナンド・アロンソは2019年のF1世界選手権に参戦しないことを発表。17年間のF1キャリアに一旦終止符を打つことになった。2001年にミナルディでF1デビューを果たしたフェルナンド・アロンソは、ルノーに所属した2005年と2006年に2度のF1ワールドチャンピオンを獲得。これまでのキャリアで通算32勝、22回のポールポジション、97回の表彰台を獲得している。
ミナルディ M01 (1999年)カートで活躍したフェルナンド・アロンソは、1999年にユーロ・オープン・モビスター・バイ・ニッサンに参戦してチャンピオンを獲得。年末にヘレスでF1初走行を実施。他の同年代のテストドライバーより1.5秒速いタイムを記録した。ベネトン B200 (2000年)ベネトンの元チーム代表だったフラビオ・ブリアトーレとマネージメント契約を結び、年末にベネトンのF1テストドライブのチャンスを得る。ミナルディ PS01 (2001年)ルノーと契約し、ミナルディから19歳でF1デビュー。ポイント獲得はならなかった。ベネトン B201 (2002年)プレシーズンテストでドライブ。ルノー R202 (2002年)ルノーのテストドライバーに就任。シルバーストン、バレンシア、ヘレス、カタロニアといった各地のコースで計1,642周を走破した。ジャガー R3 (2002年)5月のシルバーストンテストでドライブ。レギュラードライバーのペドロ・デ・ラ・ロサのタイムを上回るパフォーマンスをみせた。ルノー R23 (2003年)ジェンソン・バトンに代わってルノーのレースドラーバーに就任。第2戦マレーシアGP予選において、当時の史上最年少記録(21歳236日)でポールポジションを獲得。決勝では3位入賞を果たし、当時の史上最年少記録(21歳237日)での表彰台を獲得した。第13戦ハンガリーGPでは自身2度目のポールポジションから優勝。当時の史上最年少優勝記録(22歳26日)を樹立。ランキング6位でシーズンを終えた。ルノー R24 (2004年)4度の表彰台を含めて12回の入賞を果たすも、フェラーリの圧倒的な強さもあり優勝はなし。それでもチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回り、ランキング4位でシーズンを終える。ルノー R25 (2005年)開幕戦から3位表彰台と波に乗り、第2戦では1年7か月ぶりのポール・トゥ・ウィン。その後2戦でも勝利して、自身初の3連勝を達成。7勝を含む15度の表彰台を獲得。当時F1史上最年少(25歳273日)でF1ワールドチャンピオンを獲得。ルノー初のコンストラクターズチャンピオン獲得にも貢献した。2007年のマクラーレン移籍が発表される。ルノー R26 (2006年)第6戦スペインGPでスペイン人ドライバーとして母国グランプリ初制覇。第5戦から5戦連続ポールポジション、第6戦から4連勝と圧倒的な強さをみせる。中盤以降はマスダンパーの禁止などで苦戦を強いられるも、7勝を含む14度の表彰台を獲得し、2年連続でダブルタイトルを獲得した。マクラーレン MP4-22 (2007年)3年契約でマクラーレンに移籍。第2戦で優勝、第14戦まで全戦でポイントを獲得するもわずか1ポイント差でタイトルを逃す。チームメイトの新人だったルイス・ハミルトンとの関係が悪化、マクラーレンをコンストラクターズ選手権から除外するスパイ疑惑などの過程でロン・デニスと対立。契約を2年残してチームを離脱した。ルノー R28 (2008年)古巣ルノーに復帰するもチームにかつての強さはなく苦戦が続く。しかし、第15戦シンガポールGPで優勝(のちのクラッシュゲート)。続く日本GPでも優勝して2連勝。ランキング5位でシーズンを終えた。ルノー R29 (2009年)空力レギュレーションが大幅に変更となった年。アロンソ曰く“これまでの最悪のF1マシン”のR29だったが、ハンガリーGPでポールポジションを獲得。シンガポールGPでは3位表彰台を獲得し、ランキング9位でシーズンを終えた。フェラーリ F10 (2010年)キミ・ライコネンに代わってフェラーリに加入。この年から10位までにポイントを付与するシステムに変更。開幕戦で優勝し、イタリアGPではファステスト、ポールポジション、優勝とハットトリックを達成。シンガポールGPでは1度もトップを譲らずにグランドスタムを達成して優勝。しかし、セバスチャン・ベッテルにわずか4ポイント差でランキング2位となりチャンピオンを逃す。フェラーリ 150°イタリア (2011年)レッドブルが大躍進。第9戦イギリスGPでの優勝を含め、7度の表彰台を獲得するもランキング4位でシーズンを終える。フェラーリ F2012 (2012年)開幕前からマシンのパフォーマンス不足が明らかになるも、第2戦マレーシアGPでは雨天の混乱を制して優勝。第5戦スペインGPでの大幅アップグレードで復調して一時はランキングトップに立つ。しかし、レッドブルが復調して追い上げ、セバスチャン・ベッテルと3ポイント差のランキング2位に終わる。フェラーリ F138 (2013年)2勝を含む9度の表彰台を獲得するも、13勝を挙げる圧倒的な強さをみせたセバスチャン・ベッテルに155ポイント差をつけられてランキング2位でシーズンを終える。セバスチャン・ベッテルとレッドブルがダブルタイトル4連覇。フェラーリ F14T (2014年)F1はパワーユニット時代に突入し、メルセデスが台頭。フェラーリは1勝も挙げることができず、アロンソはランキング6位でシーズンを終える。マクラーレン・ホンダ MP4-30 (2015年)F1復帰したホンダと手を組んだマクラーレンに移籍。しかし、ホンダのF1パワーユニットと信頼性不足でポイント争いさえ苦戦する状況。日本GPでの「GP2のエンジンかよ!」との無線が有名。わずか11ポイントの獲得でデビューイヤー以降ではワーストとなるランキン17位でシーズンを終える。マクラーレン・ホンダ MP4-31 (2016年)ホンダのF1エンジンが改善の兆しをみせ、第4戦ロシアGPで6位に入りシーズン初入賞。第5戦スペインGPで新生マクラーレン・ホンダとして初のQ3進出。最終的に54ポイントを獲得してランキング10位でシーズンを終える。マクラーレン・ホンダ MCL32 (2017年)ホンダが新型パワーユニットを投入するもプレシーズンテストから再び信頼性トラブルが多発。17ポイントの獲得に留まり、ランキング15位でシーズンを終了。マクラーレンはホンダとのパートナーシップを解消し、ルノーとの契約を発表。この年、モナコGPを欠場してインディ500に参戦する。マクラーレン MCL33 (2018年)伝統のパパイヤオレンジを復活させたマクラーレンだが、ルノーのF1パワーユニットに変更したことで逆にシャシー側の欠点が露呈することに。コンスタントにポイントを獲得...