角田裕毅(レッドブル・レーシング)が、日本人として誰も成し遂げていないF1初優勝に挑んでいる。日本人最多出走を更新した角田裕毅は、幼少期に片山右京と出会った経験を胸に、その原点から歴史的快挙を目指して走り続けている。日本は長年にわたり多くのF1ドライバーを輩出してきたが、ドライバーたちがF1世界選手権75年の歴史の中で収めてきた成功は限られている。
現在の多くのドライバーたちも、日本グランプリが開催されている鈴鹿サーキットを「カレンダーの中で最高のサーキットのひとつ」として挙げている。しかし、日本人ドライバーたちはF1での歴史において成功が限られてきた。これまでに日本からは合計21人のドライバーがF1に出走しており、その最初は1975年の伏田裕司だった。翌1976年には、フランク・ウィリアムズが桑島正美をたった1セッションだけで降ろした出来事もあった。一方で、中嶋悟は、初めて複数のレースにわたり参戦した日本人ドライバーとなった。角田裕毅は現在、日本の旗を背負って走っており、すでに日本人ドライバーの中で最も多いF1出走数の記録を更新している。レッドブルは角田裕毅の将来を検討しているが、25歳の彼は、幼い頃に同郷の片山右京から大きな影響を受けたことを打ち明けており、それが今日の自分に繋がっていると語っている。トーキング・ブル・ポッドキャストで、子供の頃に本当に憧れていた日本人ドライバーはいるのかと尋ねられた角田裕毅は「片山右京さんですね」と答えた。「彼はまったく同じ町の出身なんです。とても小さな町なんですけどね。本当に小さい町なんですけど、なぜか最近はその町から多くのアスリートが出てきていて、オリンピックの金メダリストとかもいます。あの町には何かあるんでしょうね。理由は分からないですけど。あの町はアスリートがうまくいっていて、片山右京さんのことを覚えているのは、最初に会ったのは僕が3歳か、いや4歳くらいの時で、父が僕を連れて行ってくれたんです。町でトークショーをやっていて、そこに行って話を聞いたんです。そのことを今でも覚えています」そして角田裕毅は続けてこう語った。「だから、自分がそのリストに入っているのは本当に名誉なことであり誇らしいことです。そしてもちろん、もっと成功を収めたいですけどね。でも、これまでの日本人ドライバーたちには本当に敬意を抱いています」日本人F1ドライバーの最多グランプリ出走数順位ドライバー出走数1角田裕毅103*2片山右京953佐藤琢磨904小林可夢偉755中嶋悟74片山右京のキャリア片山右京は1963年5月29日生まれで、角田裕毅が示したとおり、彼も神奈川県相模原市の出身だ。片山右京は日本国内での活動と並行してフランスでもレース活動を行い、1991年には全日本F3000選手権で優勝した。これによって1992年にラルースからF1デビューを果たし、チームメイトはベルトラン・ガショーだった。そのときには日本人ドライバーの鈴木亜久里もフットワークから参戦していた。片山右京のその年のベストリザルトは、ブラジルとイタリアでの9位だった。翌年にはティレルに加入し、そこで4シーズンを戦った。デビューイヤーは目立った成績を残せなかったが、1992年ブラジルGPでは最多ポジションアップの記録を持ち、ジャンニ・モルビデリ、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンと並んでその記録を共有している。1994年のシーズンは片山右京にとって最高の年となり、ブラジルGPとサンマリノGPで5位入賞を果たした。その後、シルバーストンで最後となる5ポイント目を獲得した。1996年のベルギーGPでは、ミカ・サロと同じティレルから参戦し、8位でチェッカーを受けたが、この時が唯一のフルラップ完走となった。片山右京のキャリア最後のレースは1997年のヨーロッパGPで、そこで17位に終わった。最終的に95戦に参戦し、通算5ポイントを獲得した。なお、彼は58戦連続でノーポイントという記録を持っているが、もし現在のポイントシステムが当時から導入されていれば、その連続記録はもっと短く終わっていただろう。片山右京のメッセージと困難片山右京は、ミナルディでの最後の時期に、実は1994年にがんと診断されていたことを明らかにしたが、当時は公表していなかった。また、1995年のポルトガルGPでは大きなクラッシュを経験し、当時F1で最も多くのレースを無得点で終えていたルカ・バドエルと接触して次戦を欠場することになった。2005年にトヨタ・ガズーレーシングのインタビューを受けた際、将来F1を目指す人々にどんなアドバイスをするかと問われ、片山右京はこう答えている。「高校の時、進路指導の先生に『F1ドライバーになる』って言って、本当に実現しました。挑戦すればできることはたくさんあります。ただほとんどの人は挑戦すらしない。自分の幸せや価値を、自分自身で見つけなければいけないんです。物事に邪魔されたり、挫けたりしてはいけない。すべてを深く考えすぎてはいけない。映画を観て感動したり、音楽を聴いて鳥肌が立ったりすることがあるでしょう。それが自分の“センサー”なんです。それが幸せを教えてくれる。もしその感覚に従えば、子供の頃の純粋な夢を心に持ち続けることができます。それに従っていけば、夢は必ず叶います」片山右京はF1で95戦を経験した。これは彼以外ではただ一人の日本人ドライバーしか達成していない数字だ。そして現在、角田裕毅がその後を継ぎ、日本人初のF1優勝という夢に挑んでいる。その挑戦が実を結ぶ時、日本モータースポーツの歴史に新たな大きな一歩が刻まれることになる。
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