ヘルムート・マルコは20年にわたってレッドブルF1に関わってきたが、その去り方は、いかにも彼らしい静かならぬものとなった。82歳のオーストリア人は、長年の盟友であり同僚だったクリスチャン・ホーナーにわずか数か月遅れて、チームを去ることになった。近年のレッドブルでは、オーストリア本社がチームへの統制を強める過程でホーナーが電撃的に解任され、その後に一時的な安定が訪れていた。その中で唯一残っていた“特異点”がマルコだった。
ホーナーの後任としてローラン・メキースがチーム運営を引き継ぎ、レッドブルGmbHのCEOであるオリバー・ミンツラフに報告する新体制が敷かれたことで、ミルトンキーンズのチームは新章へと踏み出した。だが、「心機一転」を掲げる新文化の中で、マルコはどこに収まる存在だったのか。その答えは明白だった。彼は、もはや適合しなかった。“企業的”イメージと相容れない存在メキースが対外的に穏健でコーポレート寄りの姿勢を示す一方、マルコのオールドスクールな振る舞いは際立っていた。週末のグランプリ中、広報担当者も同席しない即興的なメディア対応を続け、マイクを向けた記者には誰彼構わず語る姿勢も変わらなかった。率直すぎる発言は、これまでも何度となく問題を引き起こしてきた。内部事情、セットアップの選択、使用しているパーツの仕様、さらには戦略の意図まで口にすることもあり、レッドブルの広報陣にとっては悪夢だった。それでも彼は、創業者ディートリッヒ・マテシッツの右腕という立場から、長らく誰にも縛られない存在であり続けた。マテシッツ死後に露呈した亀裂マルコの発言による“騒動”は、かつての体制下では容認されてきた。2005年当初、マルコはホーナーよりも上位の立場にあり、その力関係が長く続いていたからだ。しかし、2022年後半にマテシッツが亡くなり、ミルトンキーンズ内部で権力闘争が噂されるようになると、状況は変わり始めた。チームの顔がホーナーであることが強まる中、マルコは一歩も引く意思がないことを公言し、自身の去就は「ホーナー氏ではなく自分が決める」とまで語っていた。彼はまた、ホーナーが権力を掌握するのを「できる限り阻止した」とも明かしている。2025年、均衡の崩壊マクラーレンの圧倒的な強さが露呈した2025年半ば、さらにマックス・フェルスタッペン流出の噂が渦巻く中で、ミンツラフは決断を下した。ホーナーは切られ、新体制が発足する。皮肉なことに、その変化を後押しした一人がマルコだった。しかし結果として、彼自身が長年守られてきた不安定な均衡を崩すことになった。レッドブル上層部の狙いは、「個人ではなく缶(ブランド)を中心にしたチーム」へと再定義することだった。独断専行が招いた決定打ホーナー退任後、マルコは事実上“自由”な状態となり、独断で物事を進め始めたとされる。オランダGPの時点でアイザック・ハジャーに昇格を告げたことや、アイルランド人ドライバーのアレックス・ダンをジュニアに契約した件はいずれも、メキースやミンツラフに相談なく進められたという。ハジャーの昇格自体は最終的に了承されたものの、その進め方は新体制の理念に真っ向から反していた。ダンの契約は最終的に解消され、高額な代償を伴ったとも伝えられている。度重なる問題発言シンガポールGPでは、マルコの私生活に関わるパドックでの振る舞いが、レッドブルGmbHのタイ側大株主であるチャルーム・ユーヴィディヤを怒らせたとされる。さらにカタールGPでは、アンドレア・キミ・アントネッリが意図的にミスを犯し、ランド・ノリスを通したと示唆する発言をテレビ中継で行い、物議を醸した。これは、レース中の感情的な無線発言とは異なり、事後に繰り返し語られた点で問題視された。“自らの決断”という公式見解の裏側アブダビGP後、公式には「マルコ自身の決断による退任」と説明された。ミンツラフも声明でその決断を惜しむ言葉を並べている。しかし実際には、ホーナーの退任が決まった時点で、マルコの立場も終わっていたと見る向きは多い。より企業色の強い環境において、制御不能な存在が許容される余地はなかった。新体制がフェルスタッペン陣営からも全面的な信頼を得ているとされる中、かつてのような“守護”も存在しなかった。戦いの終わり退任後、マルコはホーナーを「嘘つき」と非難するなど、攻撃的な発言を続けている。だがそれは、長年続いた権力闘争の終章に過ぎない。彼は、マテシッツ亡き後の戦いに勝ったと思ったのかもしれない。しかし実際には、戦場に少し長く立っていただけだった。「戦争は、始める時は選べるが、終わり方は選べない」マキャヴェリの言葉が、いまのヘルムート・マルコの立場を象徴している。Source: PlanetF1
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