レッドブルの2007年F1マシン『RB3』は、エイドリアン・ニューウェイがレッドブル加入後に初めて手掛けたマシンであり、“青いマクラーレン”と揶揄されながらも、その後、常勝軍団へと変貌を遂げていく礎となる1台だった。スポンサーとしてF1に関与していたレッドブルは、2004年末にフォードからシャガー・レーシングを1ドルで購入してレッドブル・レーシングを設立。チーム代表には当時31歳の若さでクリスチャン・ホーナーが就任し、2005年からF1参戦を開始した。
初マシンとなる『RB1』は旧ジャガーのR6がベースとなり、翌年の『RB2』にも引き継がれた。しかし、レッドブルは2006年にエイドリアン・ニューウェイがチーフテクニカルオフィサーとして加入。クリスチャン・ホーナーは、個人的にディナーパーティーを主催してマクラーレン離脱が決定していたニューウェイを口説き落とした。「私は常にエイドリアンのマシンのファンだったし、彼のキャリアを常にフォローしてきた。彼のマシンは芸術の域に達していた」とクリスチャン・ホーナーは語っている。エイドリアン・ニューウェイがレッドブルで初めて本格的に関与した『RB3』は、ゼロキールをはじめ多くの点でマクラーレン時代にニューウェイが手掛けた『マクラーレン MP4-20』に酷似しており、“青いマクラーレン”と揶揄された。だが、デザインだけなく、信頼性という点でも速さと脆さが共存した“ガラスのマクラーレン”と呼ばれたMP4-20の特性を受け継いだ。特にギアボックスの信頼性問題は深刻であり、F1エンジンをフェラーリからルノーへと変更した点も設計では不利に働いた。レッドブル RB3は、予選ではトップ10の常連となるなど、速さを見せるものの、前半戦の完走率は50%と信頼性は深刻な状態だった。だが、第10戦ヨーロッパGPでマーク・ウェバーで3位表彰台、チームメイトのデビッド・クルサードも5位入賞を果たすと信頼性の問題も一定の改善が見られるようになる。日本GPではウェバーが2位走行中に後続車(ベッテル)に追突されリタイアするなどの不運などもあり、最終的に24ポイントの獲得でコンストラクターズチャンピオンシップ5位にとどまった。レギュレーションの安定もあり、レッドブルの優勝は大幅なレギュレーション変更後の2009年までお預けとなるが、その後、常勝軍団へと歩みを進める礎となるマシンが『RB3』だった。
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