マクラーレンのチーム代表マーティン・ウィットマーシュは、HRTでレース復帰するためにテスト兼リザーブドライバーの役割から退く道を選んだペドロ・デ・ラ・ロサのチームへの貢献に敬意を表した。2010年にザウバーでレース復帰するために一時チームを離れたが、ペドロ・デ・ラ・ロサは2003年からマクラーレンでの時間を過ごしてきた。
マーティン・ウィットマーシュは、その期間のマクラーレンの成功におけるペドロ・デ・ラ・ロサの役割を過小評価することはできなと語った。「ボーダフォン・マクラーレン・メルセデスへのペドロの貢献はことのほか貴重なものだった。彼が2013年に我々に加わってからの貢献は、おそらく外部から見えるよりもずっと貴重なものだった」「彼はテストドライバーとしてトラック上、最近ではシミュレーターで非常に勤勉だった。彼のフィードバックは信頼できるものだったし、エキスパートだった」「だが、彼の貢献は以前よりも深く広くなっていった。ペドロは典型的なチームプレーヤーであり、我々のチームで大きな動機づけとなる存在だった。おそらく個人的にずっと本物と友人として彼と接していくだろう」マーティン・ウィットマーシュは、レースに復帰したいというペドロ・デ・ラ・ロサの願望を完全に理解していると述べた。40歳のペドロ・デ・ラ・ロサは、2005年にはファン・パブロ・モントーヤの代役、2006年には彼の後任としてマクラーレンで9戦に出場している。「2010年と2011年に彼はザウバーで何度かレースに出場した。彼は常にエネルギーと熱意を持ってマクラーレンでのテストと開発作業にアプローチしてくれたが、彼は心底レーサーのままだ」「そういったわけで、我々はレースドライバーとしてHRTに加入するという彼の決断を理解し、応援している。彼の幸運を祈っている。だが、彼がいなくなって寂しいのは言うまでもない」ペドロ・デ・ラ・ロサは「F1での10年以上、僕はずっとワーキングを第2のホームと考えてきた」と述べた。「2003年にチームに初めて加入したときよりもずっと競争力のあるドライバー、そして人として成長する手助けをしてくれたボーダフォン・マクラーレン・メルセデスの全員にこの場を借りて心から感謝したい」「もちろん、個人的にマクラーレンで最もハッピーだった瞬間は2006年のハンガリーでの2位だけど、2008年のドライバーズチャンピオンシップのためにルイス(ハミルトン)とチームの役に立てたことを誇りに思う。本物のチームの努力だった。そして、チームとの全ての時間を通してグランプリに勝った一連の素晴らしいマシンを開発する手助けができたことを誇りに思う」「最後に、心のおもむくままに生きるチャンスを与えてくれたマーティン(ウィットマーシュ)にお礼を言いたい。彼は僕のキャリアを通じて僕のもっと強いサポーターでいてくれただけでなく、僕と僕の家族の非常に良い友人だ」「僕はボーダフォン・マクラーレン・メルセデスをF1で最高の最もプロフェッショナルなチームだと思っている。自分の人生とキャリアにおける新しいチャレンジに挑むことを誇りに思っているけど、友人であるワーキングの勤勉な男女はずっと僕の心の特別な場所にいるだろうし、大きな尊敬と称賛を抱いていくだろう」関連:HRT、ペドロ・デ・ラ・ロサを2012年のレースドライバーに起用