ホンダ・レーシング(HRC)の渡辺康治社長が、東京オートサロン2024でメディア向けにプレスカンファレンスを実施し、同社の2023年のモータースポーツ活動を振り返るとともに、2024年の取り組みについて語った。ホンダ・レーシングは、2024年の引き続き、レッドブルレーシングとスクーデリア・アルファタウリにF1パワーユニットを供給。だが、岩佐歩夢は日本のスーパーフォーミュラに転向し、F1直下のFIAフォーミュラ2選手権に参戦するホンダの育成ドライバーはいなくなる。
FIA フォーミュラ・ワン世界選手権(F1)昨年2023年シーズン、ホンダRBPTのパワーユニットを搭載したオラクル・レッドブル・レーシング RB19が22戦中21勝と、F1の歴史に新たな大記録を樹立しました。これは1988年に、アイルトン・セナとアラン・プロストが駆るマクラーレン・ホンダ MP4/4が打ち立てた16戦中15勝という記録を35年ぶりに塗り替える快挙となりました。今年は、1964年にホンダがF1にRA271で初めて参戦して60周年であり、さらなる躍進を目指して力を尽くして参ります。今年も昨年同様、マックス・フェルスタッペン選手を擁するオラクル・レッドブル・レーシング、そして現在F1で唯一の日本人レギュラードライバーでありホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト出身の角田裕毅選手が所属するスクーデリア・アルファタウリの2チーム体制で戦います。全日本スーパーフォーミュラ選手権(スーパーフォーミュラ)F1に次ぐ速さを誇る日本のスーパーフォーミュラは、これまで数多くのF1ドライバーを輩出してきました。昨年2023年シーズン、ホンダ陣営は、TEAM MUGENが年間チームチャンピオンを獲得し、野尻智紀選手、リアム・ローソン選手も最終戦まで熱い戦いを繰り広げました。今シーズンは、ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの育成メンバーであり、レッドブルジュニアチームの一員としてヨーロッパのフォーミュラシリーズで大活躍を見せた岩佐歩夢選手をはじめ、スーパーフォーミュラ・ライツでチャンピオンを獲得した木村偉織選手や昨年ルーキーで最終戦に初優勝を果たした太田格之進選手ら若手ドライバーの活躍に期待しています。そして今週、国内トップフォーミュラ史上最年少、かつ日本人女性で初となる、JUJU選手の参戦がチームより発表されました。こういった若い才能が輝き、F1を始めとする世界のレースへ通じる場としてスーパーフォーミュラを位置づけ、今後も力をいれていきます。SUPER GT GT500クラスSUPER GT GT500クラスでは、NSX-GTに代えて、2024年シーズンはCIVIC TYPE Rをベースとした「CIVIC TYPE R-GT」を投入し2020年以来となるチャンピオンタイトルの奪還を目指します。SUPER GTにおいても、若手ドライバーを積極的に起用していきます。新たに参戦する佐藤蓮選手と大草りき選手は、経験豊富なドライバーとのタッグを組み、さらなる活躍を期待しています。スーパー耐久モータースポーツにおけるSDGsを見据えた開発を行なう場となるST-Qクラスにおいて、Team HRCはカーボンニュートラル燃料の市販車への親和性を検証する為、CIVIC TYPE R CNF-Rで参戦し、昨年の最終戦ではクラストップの成績を残しました。CIVIC TYPE R開発責任者を含む、ホンダの車両開発エンジニアの自己啓発チームHonda R&D ChallengeのCIVIC TYPE R がST-2クラスにおいてシリーズチャンピオンを獲得し、強力なライバルに打ち勝った快挙は、Civic Type Rのポテンシャルの高さを立証しました。eMS(イー・モータースポーツ)CIVIC TYPE Rはバーチャルの世界でも活躍しています。 Honda Racing eMS(イー・モータースポーツ)と銘打ち、昨年9月末から1カ月に渡って開催したバーチャル予選には世界からアカウントベースで20万人を超えるeアスリートが参加、うち17歳以下が7万5千人以上にのぼり、若者との接点が創出できました。今後HRCはイー・モータースポーツにも力を入れていきます。HRC-US今月末にはアメリカ、フロリダでデイトナ24時間レースが行われます。昨年のデイトナではAcura ARX-06が見事デビューWINを飾り、Acuraとしてデイトナ三連覇の快挙となりました。今年のデイトナは、北米でホンダのレース活動を担ってきたホンダ・パフォーマンス・ディベロップメントがHRC-USへと組織変更して最初のレースとなります。今後は日本のHRCとHRC-USが有機的に連携して、F1を含むホンダのレース活動をさらに盛り上げていきます。そして、今後HRCブランドのパーツや市販車などの企画も進めています。今後の100年へ1924年に当時17歳だった本田宗一郎がカーチス号という飛行機のエンジンを搭載した手作りマシンにドライビングメカニックとして搭乗し、第5回日本自動車競争大会で優勝して今年は100周年になります。ホンダはレースによって人と技術を育ててきました。それは創業者達から受け継がれるホンダ DNAであり、使命でもあります。今後の100年間もレースでの感動をお届けすることとワクワクする製品の開発のため、人と技術を磨くことにホンダならびにHRCは全力を尽くしてまいります。