ホンダF1のマネージングディレクターを務める山本雅史が、マックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング・ホンダ)のF1ワールドチャンピオン獲得で幕を閉じた7年間のホンダF1活動について振り返った。2015年にマクラーレンのワークスパートナーとしてF1復帰したホンダF1は、2021年のF1アブダビGPでのラストレースでタイトルを獲得して、7年、141戦の第4期のF1活動に終止符を打った。
「ご存じの通り、ホンダのF1への参戦は、12月12日に行われたアブダビでのシーズン最終戦をもって終了となりました。劇的なレース展開の中で、最後の最後にマックス(・フェルスタッペン/レッドブル・レーシング・ホンダ)がドライバーズチャンピオンシップを獲得するという素晴らしいエンディングを迎えることができました」と山本雅史はHonda Racing F1のコラムに綴った。「歓喜とともに、これまでに経験してきた数々のことが思い出されて、言葉では表現できないような気持ちになりましたが、一生忘れることのできない一夜になりました」「そこから2週間以上が経過した現在は、その喜びとともに、『すべて終わってしまったんだな』という寂しさと、最後に目標を達成できたという満足感が入り混じったような気持ちです」7年間、141戦。前を向いて戦い続けましたホンダは、高度なハイブリッド技術を使用した新パワーユニット(PU)レギュレーションの導入に伴い、2015年からPUサプライヤーとしてF1に復帰し、トータルで7シーズン、141グランプリを戦ってきました。141戦を振り返ると、本当にいろいろなことがありました。ほかのライバルに比べると短い開発期間だったこともあり、参戦当初のマクラーレンとのパートナーシップ時には非常に苦戦し、どん底と呼べるような時期も味わってきました。この当時のことをよく質問されますし、今考えても、私自身も、そしてエンジニアたちも非常に苦しい時間を過ごしてきましたが、一方でこのときに学んだ多くのことがベースになって、今回のチャンピオンシップ獲得にまで至っていると思っています。マクラーレン・ホンダという偉大な名の下で開始したプロジェクトでしたので、皆さんだけでなく我々もマクラーレンも、大きな成功を夢見ていました。その名前の大きさゆえ、互いに『ホンダならできる』『マクラーレンならできる』といった形で、双方の実力を信頼しすぎた、リスペクトしすぎた部分があり、それゆえ前進していくための十分なコミュニケーションが足りていなかったのではないかというのが、プロジェクトがうまくいかなかったことに対する私の実感です。ホンダとしても技術的な面で準備不足な点が多くあり、そのためにドライバーやチームに多くの迷惑をかけたことも事実です。もう少し上手くできた部分があったのかもしれないとも思いますが、そういった中でもホンダらしいなと感じるのは、苦しい状況にもかかわらずエンジニアたちが前を向き、失敗から多くのことを学んだ上で、その後様々な技術的なブレイクスルーを果たし、世界のトップにまでたどり着いた点です。彼らの成し遂げてきたことを思うと非常に誇らしく、そして胸が熱くなります。どん底の中で『高速燃焼』に光を見出した私がインタビューで最も苦しかった時期は?と聞かれると、迷うことなく『MGU-Hのトラブルが続いた2017年の第2戦バーレーンGP、そしてその後から夏まで続いたマクラーレンとの離婚協議』と答えます。ただ、実はエンジニアリングの観点では、その年の夏あたりには、ホンダのPU躍進のコアとなった燃焼技術『高速燃焼』の手がかりのようなものが見つかっていました。高速燃焼は、偶然の中から生まれたごくわずかなデータの変化をエンジニアが見逃さず、それをきっかけに研究開発が始まりました。事象を発見した後にも、じゃじゃ馬のように扱うことが難しい燃焼でしたので、一筋縄ではいきませんでしたが、浅木(PU開発責任者)の指示の下、数々の試行錯誤と高度な制御によって手なずけ、2018年の後半にはレースで実用できるまでに至りました。PUそのものも、その燃焼技術を生かすために毎年変更を重ね、21年シーズンには、エンジニアたちの尽力により当初予定を大きく前倒して”新骨格”と呼ばれる新しいモデルを投入しました。ほかにも、トラブルが続出していたMGU-HをHondaJetのエンジン開発陣の力により改良して問題を解決したり、二輪部門のシリンダーコーティング技術を使用して耐熱・耐摩耗性能を向上したりと、HRD-SakuraとHRD-UKを中心に、オールホンダとして様々な知見と技術を投入してここまで来ることができました。トラックサイドでも、田辺テクニカルディレクターを中心に、ファクトリーから届いたPUの信頼性とパフォーマンスを最大限に引き出すべく尽力し、2チーム、4台のマシンに戦闘力を与えてきました。言葉で言うのは簡単ですが、この裏にはエンジニア・メカニックたちの膨大な量の努力と研鑽が存在しています。かかわってきたメンバーのひとりひとりの貢献がここまでの進化を支えてきましたし、ホンダの意地を見せるとともに、技術力の高さを証明することができたと感じています。ともに戦ってくれた仲間への感謝もちろん、ここまで来られたのは、我々の力だけによるものではありません。2017年に『ホンダならできる』という言葉とともに、私たちを信じて迎え入れてくれたてくれたフランツ(・トスト/アルファタウリ代表)、パートナーシップ締結時から『ホンダと一緒にチャンピオンを獲るんだ』と言い続け、その夢を一緒に叶えたヘルムート(・マルコ/レッドブルモータースポーツアドバイザー)とクリスティアン(・ホーナー/レッドブル代表)。我々にいくつもの忘れられない勝利と栄冠、そして勇気を与えてくれたマックス、そのマックスをサポートして自らも勝利したセルジオ(・ペレス)、スーパーフォーミュラ時代からホンダと苦楽を共にしてきたピエール(・ガスリー)、最終年に間に合わせるかのようにデビューを果たし、今後の日本人ドライバーとしての希望を与えてくれた角田選手。ホンダとともに大きな夢を抱き、多くの困難に立ち向かってくれたフェルナンド(・アロンソ)とジェンソン(・バトン)や、そのほかの一緒に仕事をしてきたすべてのドライバー、レッドブル・レーシング、スクーデリア・アルファタウリ、マクラーレン・レーシングのチームのメンバーなど、言い出すと本当にきりがないのですが、ともかく、ここまで本当に多くの仲間たちに支えられてきました。そして、その仲間たち情熱とともに今のホンダF1を築き、夢を叶えてき...
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