日本人初のF1フルタイムドライバーである中嶋悟が、F1との出会い、ロータスでのF1デビューについて Honda Racing Topics で語った。F1との初めての出会いについて中嶋悟は「1978年にF3でイギリスに遠征してたんですね。その時に前座レースですけども、ブリティッシュグランプリの前座でF3に出ました」と語る。
「その時にメインレースのF1を初めて目の前で、生で、外国で見ることがあって、その時は自分はF3でひっくり返っちゃったりして、ボロボロに負けちゃったんですけども、クルマもないので日曜日にメインレースを見てたんですね」「そしたら、F1で走っているのでレースが凄いとかいうことは当たり前のことなんですが、始まるまでとか、気配が、それまで自分がやってた日本のレース、または日本での自分のしてることの世の中の見られ方みたいなものが、すべてぶっ飛んでしまった」「その理由としてはパドックの気配であるとか、皇族方がいらしてて、ロールスロイスがいっぱい並んで、レッドアローの展示飛行がグランドスタンドをかすめるほどに飛んでみたりとか、多くの人が押し寄せて。そのなかに若い人も、おじいちゃんも、子供も、非常に多くの人が見てる姿、レースそのもののイベントが自分が想像していた、経験していた日本のレースと少し違って見えた。ここへ来ないと、自分がこの世界を目指した証にならないなという感じ、そういう気持ちを強く持ったのがきっかけですね」F1に参戦できると聞かされたときについて中嶋悟は「1年前の86年の夏かな。もちろん、F1に出るためのキャリアが必要なので、当時のF3000、今でいうF2ですね。ヨーロッパで参加しまして。もちろん、国内でも参加していたんですが、その2つで通用するかしないかを見られてたと思ううんですね」と振り返る。「それで夏くらいにオーストリアのイベントの少し前だったと思うんですけど、報告がありまして。来年ロータスっていうのを聞きまして。ちょっとぶっ飛びましたけど、そのつもりでやってたので。ただ、オーストリアのF3000の僕のグリッドにアイルトン・セナが『来年よろしく』なんて来たんで『これ本物だな』『これはちょっと嘘じゃないなあ』という喜びを感じたような気がしますね」中嶋悟の初F1レースは1987年にインテルラゴスで行われたた開幕戦ブラジルGPだった。「目指してはいたけど、『えらい奴がいっぱいいるな』と。とんでもない奴ばっかしのところに来ちゃったなと1戦目は思いましたね。『なんとか君もいる』『あいつ俺より後ろじゃん』『あいつあんなところにいる」みたいな、そういう場に立てた瞬間、特にスタート前の寸前、あればちょっと感動ものでしたね」と中嶋悟は語る。「初めてのブラジル、忘れもしない、あの時はすごかったですね。練習の時間にはあんまり感じなかったんですけど、よーいドンの瞬間には『いるじゃん、ここに』みたいなのを凄く感じましたね」「めっちゃ暑いんですよ、ブラジルは。日本は北半球で冬ですし、まだ冬の身体で言って、300キロの距離を走るっているのは、テストってそこまでの距離を走らないんですよ。実際には1レース丸まるなんてロングランしないもんですから、いざレースでしてみたら、ちょっと途中でめげましたね。『これはえらいこっちゃな」と。いろいろヘルメットの中のトラブルとかもあったりとかですね、そんなこともあって、暑い、疲れる、『大変なもんだなここは』と。初めてフルディスタンスやったわけですから」「ちょっと世界は広いというなというか、名前を聞いたことをある人は『やっぱりスゲーな』みたいなのを凄く思いましたね。一応、日本じゃ自分もバリバリ頑張ってたつもりだし、日本へF2時代に来た外国人には負けてないし、みないたのな。それは地の利もありますけどね。そんなのを持って、夢を持って行ったけども、開幕ではとにかく『参ったな』みたいな気はしましたね」