ホンダがF1への挑戦を開始してから半世紀以上が経つが、創業者である本田宗一郎が大切にしてきた挑戦というDNAはホンダの技術者たちに脈々と受け継がれている。世界最高峰のF1レースで戦って得た経験と技術を次のクルマ作りに生かす。それは創業以来、ホンダが大切にしてきた会社のDNAだ。1964年、自動車の生産を始めたばかりにも関わらず、本田宗一郎はいきなりF1に参戦。そして、2年目で優勝するという快挙を成し遂げた。
なぜ無謀ともいえる挑戦を始めたのか。その理由を語る肉声がNHK BS1のホンダ特集番組で公開された。「自動車を始める限りはあくまでも一番難しいものから取り組もうということでスポーツカーが始まり、そして、グランプリへ挑戦したわけです。あんなものには挑戦しなくてもいいんです。しかしながら、あれ(グランプリ)から得た知恵を我々はこれからのものにどんどん入れるだけのたくさんの知恵を絞り取っております」チャレンジ精神は会社の著しい発展をもたらすとともに、1980年代、F1レースの成績も黄金期を迎える。6度の年間チャンピオンを獲得。1988年には16戦のうち15勝という圧倒的な強さを見せつけた。本田宗一郎はF1への道を開き、勝つことで技術者に成功体験を積ませた。「本田宗一郎さんが残こしたホンダというものの良さを伝えていきないなという気持ちが強いです」とホンダF1のパワーユニット開発責任者の浅木泰昭は語る。「よそのマネをするのは嫌いで、独自技術で難関を突破する、なんとかするという感覚があったと思うんですよね。そういうところは私も好きで、マネして2位なんかを目指さないという気持ちは伝承していきたいなととこですかね」ホンダは、伝統的に技術開発の現場に多くの若手社員を参加させている。これには本田宗一郎の強い思いがある。世界を相手にした戦いのなかで経験を積み重ね、失敗から学ぶことで技術者が育つと考えていた。1987年にホンダエンジンを積んだマシンで日本人として初めてF1のレギュラードライバーになった中嶋悟は、デビュー当時、本田宗一郎から直々に薫陶を受けたと語る。「若造の僕を見る時も車を操る側として認めて会話をしてもらえたような感じがします。いろんなことを頭の中に描きながら会話をされているとすごく感じました」と中嶋悟は語る。ホンダエンジンを積んだマシンでインディ500を制した佐藤琢磨も、ホンダの技術者に挑戦する大切さが引き継がれていると語る。「本田宗一郎さんが、世界に出て行ってナンバー1を目指したというのは、特にホンダに関わる人間としてはやっぱり自分の中に持っていると思うんですね。ですから、一切妥協しない状況を目指して、どんな状況でも絶対にできるんだと信じて挑戦を続ける」と佐藤琢磨は語る。昨年、本田宗一郎がほれ込んだアイルトン・セナの母国ブラジルで、ホンダは1-2フィニッシュ達成する。偶然にもその日は本田宗一郎の誕生日だった。「ホンダとしては1991年以来28年ぶりの1-2フィニッシュになりましたが、最後にハミルトン選手に競り勝ってフィニッシュラインを超えたシーンには本当に興奮しました。実はメンバーと一緒にあの後何度もそのシーンを見返していたのですが、そのぐらい痺れたシーンでしたね」とホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治は語る。「決勝日が本田宗一郎さんの誕生日だったこと、ホンダにとってゆかりのドライバーであるセナの母国だったということも、感慨深いものがありました。セナのお墓は、ブラジル到着日の水曜にお参りに行きましたが、勝利の翌日にもう一度、表彰台の写真とともにお礼を伝えに行きました」私はホンダF1の第二期と言われる時代にエンジニアとして何度か1-2フィニッシュを経験していますが、自分がテクニカルディレクターというポジションについてからの1-2は、そのときとはまた異なる感情があった気がします。本当に、天国にいる2人が特別な力を与えてくれたかのような、ドラマチックなレースでした。「最終戦となった先日の第21戦アブダビGPではマックスが2位表彰台を獲得してシーズンを終えましたが、贅沢なもので、2位で悔しいという感情を持ちました。1年前を思うと信じられない部分もありますが、我々が前進を続けてきたことの証だと思いますし、こういった悔しさがもっと上に行きたいというモチベーションを与えてくれることも、レースに挑戦する面白さだと感じます」ホンダF1でレッドブルのチーフメカニックを務める吉野誠は、“幻の1-2-3”は本田宗一郎からのメッセージだと感じていると語る。「レースの最終盤、ホンダのマシンが1-2-3体制を築いたときがあったのですが、そのときには、『ホンダもここまで来たのか』という思いとともに、実は画面を見ながら涙をこらえていました。ピエールがゴールの際にメルセデスのマシンを振り切った瞬間は『これまでのプロジェクト開始以降の膨大な苦労や努力、情熱が、ようやく形になったんだ』と、そう感じていました」と吉野誠はコメント。「私たちのパワーユニットは、ある日突然速くなったのではありません。その前には、数々の地道な積み重ねや失敗があり、今回の結果はその上にあるものです。苦しい時代も含めて、プロジェクトに関わったメンバーみんなに感謝の思いを伝えたいです」「実は、先日日本で本田宗一郎さんのお墓参りをしてきました。そして、レース前にはサンパウロにあるアイルトン・セナの墓前で手を合わせてきたのですが、今回の結果は二人にパワーをもらったんだと思っています。私たちがこうやっていまレースができるのは、言うまでもなく宗一郎さんのおかげです。そして、私にはあの『幻の1-2-3』が、宗一郎さんからのメッセージだったように感じています。『お前ら、絶対に戦いをやめるんじゃないぞ』と、そんな声が聞こえた気がします」