ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治が、厳しいF1レースの世界について語った。かつてホンダのインディカーの技術面を担当していた田辺豊治は、2017年末にテクニカルディレクターに就任。ホンダF1のパフォーマンスと信頼性の向上に大きな役割を果たしてきた。
2015年以降、ホンダは、F1プロジェクト総責任者が技術開発とレース現場指揮監督の責任を担ってきたが、今後は開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化。現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置し、初代テクニカル・ディレクターには田辺豊治が就任。田辺豊治は1984年に本田技研工業に入社。入社直後の1年間を除き、常にF1、CARTなどのレース現場の第一線で活躍している。ホンダF1の第2期となる1990~92年にはマクラーレン・ホンダでゲルハルト・ベルガーの担当エンジニアに就任。1993年から2003年までインディカーのエンジン開発やレースエンジニアを務めた後、ホンダF1の第3期となる2003年からはB・A・Rホンダでジェンソン・バトンのチーフエンジニアに就任。2008年にはF1開発責任者を務めた。ホンダがF1から撤退して以降は本田技術研究所で量産エンジン開発を担当し、2013年からはHPD シニア・マネージャー 兼 レースチーム チーフエンジニアを務めていた。「ちょうど2年前のこの時期に、私のテクニカルディレクターへの就任がアナウンスされたと記憶していますが、この話を初めて打診されたときは『にわかには信じられない』というのが正直な思いでした」と田辺豊治はコメント。「インディカープロジェクトを継続するために、アメリカでのビザを延長したばかりのタイミングで、私としては全くの想定外でした。そして、外からF1プロジェクトを見ていて、非常に苦戦していたことはよく分かっていたので、本当に大変な仕事を任されてしまったという想いと同時に、自分のキャリアの集大成として大きな仕事になるとも感じました。当然のことながら、相当なプレッシャーを感じていました」「私はホンダの中でも珍しく、自身のキャリアのほとんどをレースの世界で過ごしてきました。それだけにこの世界の厳しさをたくさん経験し、目にしてきたつもりです。今の私の仕事はエンジンから最大限のパフォーマンスを引き出すこと。しかし、信頼性の確保も忘れてはなりません。レースでは様々なことが起こり、自分のコントロール外のことが原因で苦しむこともしばしばあります。ホンダ F1を代表してみなさんにいろいろなことを伝えたいという思いはあるのですが、一方で、レースは簡単ではないですし、安易に結果にコミットできるような世界でもないとも思っています」「私は普段、メディア上ではあまり多くを語らない人としてとらえられているかもしれませんが、どちらかというと『語らない』というよりは『そんなに簡単に語ることができない』と感じながら仕事をしていることを分かっていただけると、うれしく思います」「そんな中で、こんな自分を信じてついてきてくれたトラックサイドのメンバーには感謝していますし、なにより、開発責任者の浅木さんをはじめ、Sakuraやミルトン・キーンズで懸命に開発をプッシュしてくれたメンバーには、本当にありがとうという言葉を贈りたいです」「この2年間、開発はほぼ計画通りに進み、現場でPUを走らせている立場としても明らかな進歩を感じていました。『計画通り』と簡単に言いますが、スケジュール通りにパフォーマンス向上を果たしていくことが、この世界ではどれだけ難しいことか、よく知っています。F1エンジンは、その時点での技術の粋を集め、『極限』までパフォーマンスを出しているものなので、その『極限』をコンスタントに更新し続けることは並大抵のものではありません。非常に心強い思いです」「ただ、もう一言加えねばなりません。『みなさん、来シーズンはすでに始まっています。さらなる前進を、一緒に果たしていきましょう』と」「仕事としてレースをやりたい、いつかF1にチャレンジしたいという人は、ホンダの社内のみでなく、世の中にも恐らくたくさんいるのではないかと思います。そして、たとえ携われたとしても、サーキット現場に来られる人は限られています。サーキットでの仕事は精神的にも肉体的にも過酷なものです。色々と厳しい場面に立たされることもありますが、この場所で仕事ができることに対して、私はとても幸せを感じています。そして、この経験は私の人生の中で大きな財産になっていますので、この仕事を任せてもらったことにはとても感謝しています」「我々がいま、F1というモータースポーツの頂点にチャレンジできるのは、創業者である本田宗一郎さんが大きな夢として挑み、その夢の続きを後藤治さん、木内健雄さん、中本修平さんなどの諸先輩方が紡いできてくれたおかげです。ですから、ここで終わらせるわけにはいきません。私には、浅木さんと一緒にこの夢を次の世代に引き継ぐという大きな責任があると思っています」
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