フェラーリの会長兼CEOを務めていたセルジオ・マルキオンネが死去した。享年66歳。今月、セルジオ・マルキオンネは右肩の手術を受け、医療休暇を取っていた。しかし、今週になって合併症で塞栓症を患い昏睡状態に陥っていたと報じられていた。
7月21日(土)フェラーリはセルジオ・マルキオンネが実務を続行することが不可能な状態だと判断。新会長にジョン・エルカン、CEOにルイス・キャリー・カミッレーリを指名していた。そのわずか4日後、フェラーリは声明を発表。「残念ながら、我々が恐れていたことが起こってしまいました。偉大な人物であり、友人でるセルジオ・マルキオンネがこの世を去りました」とジョン・エルカンは述べた。ジョン・エルカンは、フィアット創業家出身で名誉会長を務めたジャンニ・アニェッリの孫にあたる。「彼の思い出を尊重する最善の方法は、彼が我々に残した遺産を生かし、彼が最も情熱を注いで推進していた責任と寛容さという人間的価値を発展させ続けていくことだと信じています」「私の家族と私は、彼が成し遂げてくれたことを永遠に感謝していきます。我々の思いはマヌエラと彼の息子アレッシとタイラーとともにあります」F1の会長兼CEOを務めるチェイス・キャリーもセルジオ・マルキオネを“リーダーであり友人”だったとして声明を発表した。「我々はセルジオ・マルキオンネの逝去に深く悲しんでいます。彼はF1と自動車業界だけでなく、ビジネス界全体の偉大なリーダーでした」「彼は大きな情熱、エネルギー、洞察力で導き、彼の周りにいる全ての人々にひらめきを与えてきました。彼のF1への貢献は計り知れません。彼は我々全員にとっての真の友人であり、彼を失うことは深い悲しみです。ご遺族の皆様、友人、同僚にいには心からお悔やみ申し上げます」華やかでカリスマ性のあったセルジオ・マルキオンネは、2019年4月にルカ・ディ・モンテゼーモロの考に員としてフェラーリの会長に就任。フィアット・クライスラー・オートモービルズの最高責任者という役職をこなしつつも、スクデリア・フェラーリのF1プログラムに密接に関与し、就任わずか2か月後にチーム代表をマルコ・マティアッチからマウリツィオ・アリバベーネへと交代していた。また、アルファロメオをザウバーのタイトルスポンサーとしてF1に復帰させた。ドライバー選定にも熱心な関心を持っており、シャルル・ルクレールのフェラーリ昇格を推していたとされている。またF1の将来のより大きな展望においても重要な役割を果たし、非公式であるものの、メルセデスと政治的な同盟の道を模索。012年の新レギュレーションがフェラーリの考え方に見合ったものでなければ、F1を撤退すると強硬な姿勢をみせていた。セルジオ・マルキオンネは、F1ストラテジーグループの会議やF1の主要プレイヤーが集まる場でも熱心に発言していたと報じられている。より広い世界では、セルジオ・マルキオンネは、フィアットとクライスラーの提携を仲介し、両社の業績を好転させたことで知られている。1952年にイタリアで生まれたセルジオ・マルキオンネは、13歳のときに両親とともにカナダに移住。そこで教育を修了した。当初は哲学の学位を取得していたが、その後、会計学、MBA、法律学位を追加で取得している。セルジオ・マルキオンネは、2003年5月にフィアットに法務および取締役として入社し、2004年6月に最高責任者に就任。ヒューゴ・ボス製のニットがトレードマークだった。