DAMSの創設者で日産e,damsのチームプリンシパルを務めていたジャン-ポール・ドゥリオが68歳で亡くなった。DAMSは8月4日(日)に声明を発表し、闘病中だったジャン-ポール・ドゥリオが亡くなったことを発表した。また、F2でのニコラス・ラティフィの優勝とセルジオ・セッテ・カマラの表彰台を捧げた。
ジャン-ポール・ドゥリオは、1988年に自身の名を冠した『Driot Associes Motor Sport』を設立、翌年にF3000でデビューを果たし、その後、多くのF1ドライバーのキャリアで重要な役割を果たし、ジュニアカテゴリーやフォーミュラEでタイトルを獲得してきた。DAMSは、F3000、フォーミュラ・ルノー3.5、F2(GP2)、F2(GP3)を含めた様々なカテゴリーで147勝を挙げ、13のドライバーズタイトル、12のチームタイトルを獲得。現在のF1グリッドに並ぶロマン・グロージャン、ケビン・マグヌッセン、ピエール・ガスリー、カルロス・サインツ、アレクサンダー・アルボンを含め、30名のF1ドライバーを輩出している。また、アラン・プロストとともにe.damsを創設してフォーミュラEに参戦し、ルノーとのパートナーシップ時代に2度のチームタイトルとドライバーズタイトルを獲得。現在は日産がエントリーを運営している。「Driot Associes Motor Sport(DAMS)は、深い悲しみとともに創設者でありオーナーであるが68歳で亡くなったことを発表します」とDAMSは声明で発表。「ジャン-ポールは過去数か月間、病気と闘ってきました。彼の妻ジュヌビエーブ、2人の息子オリヴィエとグレゴリーに心からお悔やみを申し上げます」ルノーも声明を発表。「我々の友人でありが亡くなったことを深く悲しんでいます。スポーツは将来のチャンピオンたちを探し出し、育成してきた熱意あふれる男を失いました。彼は情熱に動かされ、リスクを冒し、すべての瞬間を楽しんできた実利を重んじるレーサーでした。彼の熱意は絶対であり、人を元気づける爽やかさがありました」「様々な形での我々のコラボレーションは常に感情と多くの成功に満ちていました。我々は愛情をこめて彼を思い出し、一緒に味わった勝利、表彰台、そして、楽しさを大切にしていきます」
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