デビッド・クルサードは、1996年にフェラーリF1チームからのオファーを拒否したことを明かし、その理由としてミハエル・シューマッハのナンバー2ドライバーになる契約を“受け入れることができなかった”と語った。デビッド・クルサードは、1994年にウィリアムズのテストドライバーとしてF1の世界に足を踏み入れた。そして、その年のサンマリノGPで事故死したアイルトン・セナの代役としてシーズンを戦った。
ウィリアムズで2シーズンを過ごしたデビッド・クルサードは、1996年にマクラーレンに移籍した。しかし、マクラーレンのシートがクルサードにとっての唯一の選択肢ではなかった。デビッド・クルサードからもフェラーリをオファーを受けていたが、ミハエル・シューマッハのナンバー2になることは受け入れられったと語る。「フェラーリからオファーされた契約には、事実上、ミハエルのナンバー2になることが記されていた」とデビッド・クルサードは RTE に語った。「ミハエルの方が強いドライバーであることは間違いなかった。彼の方が自分よりも全体的に優れたパッケージであることは認識していた。だが、私のキャリアのその段階でナンバー2契約にサインすることを受け入れることはできなかった」「それがマクラーレンにサインすることを決めた理由であり、それは私のキャリアにとって正しい決断だったと思う」しかし、マクラーレンへの移籍でさえデビッド・クルサードにいくつかの疑問があった。デビッド・クルサードは、ウィリアムズの最終戦で予選2番手だったが、マクラーレンとの初レースでは予選13番手だった給料は良くなったが、デビッド・クルサードがマクラーレンのドライバーとして初勝利を挙げるまでに1年かかった。「それがウィリアムズでのキャリアの前半で私が学んだことのひとつだった。当時の私のマネジメント会社は、ウィリアムズから提供されていた2年契約よりはるかに儲かる金融パッケージをマクラーレンと交渉していた」「1995年のアデレードでの最後のグランプリではレースをリードしていたが、3か月後のマクラーレンとのメルボルンでのでは13番グリッドだった」「突然多くのお金が支払われましたが、競争力のないクルマに乗っていました。数年間の乾期があった」「だが、その後は常に競争力が重要だった」