ケータハムの破産宣告は、ルーベンス・バリチェロの衝撃的なF1復帰を夢のままで終わらせることになった。情報筋によると、ケータハムは、F1アメリカGPから最終戦F1アブダビGPまでの3戦で小林可夢偉のシートにルーベンス・バリチェロを乗せる計画を立てていたのだという。
ルーベンス・バリチェロは、母国GPであるF1ブラジルGPを含め、F1にきちんと別れを告げる機会を与えられることになっていたという。F1ベルギーGPでアンドレ・ロッテラーとの交代を強いられて以降、小林可夢偉がケータハムのマシンを走らせるどうかはレース毎に発表される形が続いていた。 ルーベンス・バリチェロのF1復帰は、元ケータハム代表でブラジルGPのオーガナイザーであるコリン・コレスが取り組んでおり、実現すればインテルラゴスで行われた2011年シーズン最終戦でウィリアムズのマシンを走らせて以来、久々のF1レースになるはずだった。 ケータハムの情報筋は「最後の3戦はバリチェロを起用することになっていた。そのためのスポンサーシップもあったし、すべて順調に進んでいたのだ。F1にとっても最高だっただろう」と FOX に明かしている。ルーベンス・バリチェロは「もう一度、ファンの皆の前でレースをして、きちんとさようならを言えたら最高だっただろうね」と述べた。ケータハムが参戦を続けられていれば、ルーベンス・バリチェロは、F1ドライバーとして史上最多記録を保持する322戦出走の記録を更新することができただろう。ルーベンス・バリチェロは、F1を離れて以降、インディカーやブラジルのストックカー、デイトナ24時間レースなどで戦っている。