ジェンソン・バトンが、ひとまず最後のF1レースとなる最終戦アブダビGPを前にF1公式サイトのインタビューに答えた。マクラーレン・ホンダは、2017年にジェンソン・バトンに代えてストフェル・バンドーンをレースドライバーに起用。ジェンソン・バトンは、2018年にF1レースに復帰する可能性を残しつつも、リザーブドライバー兼アンバサダーとしてマクラーレン・ホンダで裏方に回ることになる。
――ジェンソン、アブダビでのシーズン最終戦の後、あなたのアクティブなF1キャリアは終わりを迎えます。少なくとも、現在はそのような状況です。F1での長い年月をじっくりと振り返るとどのようなことが思い浮かびますか? 楽しいことですか、悲しいことですか・・・「まだ振り返るのはまだ早すぎるよ。終わらない限り、終わりではないので、どうもそれが正しいとは感じられないんだ!」――では、良かった時と悪かった時について伺いたいです。「もちろん、全てのキャリアには浮き沈みがある。僕は常に停滞したキャリアではなく、最高潮か絶不調でいたい。その通りになっているけどね!(笑) 最高潮のときのことはとても良く覚えている。そして、どんな人間であっても絶不調のことは忘れたいものだ。ブラジルでフィニッシュラインを通過してワールドチャンピオンを獲得したときのことはもちろん覚えている。それに初めてF1カーをドライブしたときのことも覚えている。非常に特別だったし、絶対に忘れないことだ。1999年にマクラーレンだった。シルバーストンで英国フォーミュラ・フォードのチャンピオンを獲得した“賞”だった。若手ドライバーへのご褒美だね。多くのラップは走れなかったけど、『おお、これは楽しい』『僕のためのものだ』と思ったよ。最初のきちんとしたテストはプロストとだった。バルセロナだったね。フィニッシュラインに戻ってきたときは本当に笑顔が止まらなかったよ。多くな幸せが瞬間がある。でも、それらは全て僕の本に残すつもりだよ!」――あなたは信じられないくらい長くF1に留めることができました。達成するのは簡単なことではありません。その事実に纏わる秘密はありますか?「秘密はないよ。僕の推測では、僕がこれほど長くF1に留まったこと、そして留まりたいと思ったのは、常に変化があったからだと思う。新しことを学べる、そして自発的に学ぶことが重要だ。自分が手にするパッケージのパフォーマンスは常に変わっていく。競争相手もそうだ。それが僕を興奮させ続けていたし、毎年どんどん大きく戻ってくる」――実際、あなたは16年も戻ってきました。そして、常にペイドライバーとしてではなく、給料をもらうドライバーとしてでした。最近ではそれは達成するのが最も難しいことです・・・「そうだね、ドライブするためにお金を払ったことはない。イギリス人ドライバーにとって達成するのがとても難しいことだ。モータースポーツへの支援はごくわずかしかないからね。政府は僕たちに資金を助成してくれないし、スポンサーも多くない。南米のドライバーは政府やビッグスポンサーからずっと大きなサポートを受けている」――ドアを開けるためにスポンサーパワーからあまり得なかったあなたにとっては、あなたのスキルが最高のサポーターだと言うことができるでしょう。ここで生き残るためにF1ドライバーのDNAで3つの重要な特性を挙げるとすれば何ですか?「学ぶ気持ちだ。それは興奮をキープできる環境にいるという意味でもある。退屈に感じるのはかなり早いからね。もちろん、運も必要だ。そして、それを基にできるかだ。自分のレース技術、テクニカル面の能力、正しい方法でパートナーやスッポンサーと働けること。そして、もちろん、速くなければならない。それがなければ、長い目で見てそれ以外でも助けにはならない」――どれくらい“政治的”でなければなりませんか?「F1ドライバーは政治的な人間ではないと言いたい。そうだね、僕たちはメディアが望んでいるほどオープンではないけど、それは政治とは無関係だ・・・」――ですが、一部のドライバーは彼らの利益のために非常に激しくメディアを使っていたりします。「誰のことを言っているのかわからない。例えば、ルイス(ハミルトン)。彼にはソーシャルメディアでかなりのフォロワーがいる。でも、もちろん、彼は3度のワールドチャンピオンだ。彼が3度のワールドチャンピオンでなければ、彼はそのようなフォロワーは得られないだろう。もし、あなたがルイスの立場で、写真を投稿すれば、もちろん、気づかれないわけにはいかない。実際、あなたは彼がそのような全てをファンのためにやっていると言わなければならない」――あなたは2017年もアドバイザー的な役割でマクラーレンと続けていきますし、スポーツに近いままです。パドックで最も経験豊富な一人として、あなたの声はとても耳を傾けられることになるでしょう。F1でどうようなことが変わってほしいですか?「僕がスポーツを運営していない限り、F1で何も変わることはないよ! マクラーレンに関しては、僕の仕事がクルマを開発することではない。僕が走らせることはないからね。ドライバーのフィードバックを聞いて、チームがドライバーのフィードバックが何を意味しているのかを理解する手助けをすることになる。感情的になっているときは簡単ではないときもあるからね。僕の仕事の目的はチームの編成を助けて、チームを磨き上げることだ。長い間、一方からチームを見ていて、突然、一線を退くチャンスを得て、また別の視点から見れば、僕たちが学べることはたくさんあると確信している」――他の人の援助なしにF1に入ってくるドライバーはいません。あなたの道のりを整える助けになってくれた人は誰ですか?「もちろん、父は僕のキャリアで大きな役割を担った。彼は僕がレースをスタートした理由だった。彼はラリークロスでレースをしていたし、僕は彼を見るのが大好きだった。ラバーの臭い、そして、ノイズが大好きだった。僕はまだ5〜6歳だった。7歳のときに彼が僕にカートを買ってくれた。なので、間違いなく彼が僕に影響を与えたと言える。レースをしたとき、表彰台に上がって注目を浴びるのが本当に大好きだった。勝って、僕のトロフィーが彼らよりも大きいのを見るのが大好きだったんだ! ここにいる僕たち全員が“他の人を打ち負かす”のが大好きだね(笑) 勝つことは明らかに僕のキャリアを推し進めていく助けになった。もっと良いクルマに乗れるようになり、最終的にF1にたどり着くまで、より重大なカテゴリーに移ることができ...