ウィリアムズの共同創設者であり、2011年まで長くテクニカルディレクターを務めていたパトリック・ヘッドにナイトの称号が与えられた。今後はサー・パトリックと呼ばれることになる。機械工学の学位を取って1970年に大学を卒業したパトリック・ヘッドは、シャシーメーカーのローラに入社。1976年にフランク・ウィリアムズに声をかけられ、翌年にウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングとなるレースチームのデザイン部門を率いることになった。
パトリック・ヘッドの設計したFW06は1978年にデビューを飾る。翌年、グラウンドエフェクトを使ったFW07は、1979年のイギリスGPでチームに初勝利をもたらした。その後、ウィリアムズは113勝の勝利を重ねることになる。1980年には両方のワールドタイトルを獲得し、ウィリアムズは名実ともにトップチームとなった。その後、パトリック・ヘッドは、マシンの設計から一歩身を引き、テクニカルディレクターという役職を設立。デザイン、コンストラクション、レースとテストのプロセスという異なる分野をすべて監督し、まとめるシステムを作り上げた。1990年にウィリアムズがエンジニアとしてエイドリアン・ニューウェイを雇い入れると、パトリック・ヘッドとエイドリアン・ニューウェイの師弟コンビはかつてない黄金時代を築き上げた。1991年から1997年にかけてウィリアムズは59勝を挙げ、5度のコンストラクターズタイトルと4度のドライバーズタイトルを獲得した。その後、パトリック・ヘッドは、テクニカルディレクターからエンジニアリングディレクターと役割を変え、2011年の12月31日をもってWGPHの取締役会を退任した。今回の爵位授与について、フランク・ウィリアムズは「チームは私の名前を掲げてはいるが、これまで常に強調してきたように、ウィリアムズの創造とその後の成功はチームの努力によるものだ」とコメント。「共同創設者のパトリック・ヘッドはデザインの天才であり、我々を小さな新興チームから、優勝勢力へと変えた。彼のエンジニアリングの才能は、イギリスが世界的なモータースポーツのリーダーになるために重要な役割を果たした。その恩恵は今日に至るまで、文化的にも経済的にも感じることができる。この叙勲は、イギリスのエンジニアリングとモータースポーツにおける彼の貢献に完全にふさわしいものだ」
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