レッドブルのモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコが、2007年秋にマドリードで行われたフェルナンド・アロンソのマネージャーとの“極秘交渉”について語った。昨年、フェルナンド・アロンソとレッドブル・レーシングの双方が主張した契約交渉は、最も紛らわしく、物議をかもしたトピックのひとつだった。
フェルナンド・アロンソは、レッドブル・レーシングがダニエル・リカルドの後任として2019年のドライバーを務めることについて問い合わせてきたと主張しているが、レッドブル側はそれを否定している。だが、それ以前にもフェルナンド・アロンソがレッドブル・レーシングへの移籍へと近づいた瞬間があった。2007年秋にスペイン・アドリードでレッドブルの代表者とフェルナンド・アロンソのマネージャーを務めるルイス・ガルシア・アバドが極秘交渉を行っていた。その時、フェルナンド・アロンソはマクラーレンに所属し、ルーキーのルイス・ハミルトンとの戦いに苦戦を強いられていた。また、アロンソはマクラーレンが部外者を通してフェラーリから大量の文書を得たいわゆる“スパイゲート”をメディアに漏らしていた。それにより、フェルナンド・アロンソとマクラーレンの当時のCEOであるロン・デニスとの関係は冷え切っており、すでにアロンソはシーズン終了時にチームを離れることを決意していた。トヨタからもオファーがあったフェルナンド・アロンソだが、最終的にルノーへ復帰することを選んでいる。だが、レッドブル・レーシングに移籍する可能性もあった。当時、レッドブル・レーシングはまだ若いチームであり、2007年は表彰台を1度だけ獲得し、コンストラクターズ選手権を5位で終えていた。だが、“空力の鬼才”エイドリアン・ニューウェイの手腕により、チームは大きな飛躍を遂げる準備を整えていた。2007年秋にスペイン・アドリードでレッドブルの代表者とフェルナンド・アロンソのマネージャーを務めるルイス・ガルシア・アバドが極秘交渉を行っていた。その後、まもなくベルギーのレース週末でフェルナンド・アロンソがレッドブル・エナジーステーションにいる姿が目撃された。フェルナンド・アロンソは、マクラーレンのチームウェアでレッドブル・エナジーステーションの最上階に進み、レッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーとミーティングを行った。マドリードの極秘交渉では、レッドブル側はフェルナンド・アロンソの要求を聞いていた。ヘルムート・マルコは「彼らはとても要求が多かった。財政面はそれほどでもなかったが、広報活動や商品の肖像権などについての要求が厳しかった」と Motorsport-Total にコメント。「我々は『OK、詳細を見てみよう。あなたは契約書のドラフトを我々に送らなければならない』と伝え、彼らは1週間後に送付することで合意した。だが、14日経っても、3週間が過ぎても何も送られてこなかった」「それで、我々がガルシア・アバドに『ありがとう。もうすそうする必要がない』と伝えた」レッドブル・レーシングのチーム代表クリスチャン・ホーナーは、フェルナンド・アロンソへのオファーはその一回限りだと主張しているが、フェルナンド・アロンソは少なくとも4回のオファーがあったと主張している。
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