ザウバーが誇るF1でも最新鋭の風洞は、キミ・ライコネンを引き抜いたマクラーレンからの金銭的な補償で建設されたことを現アルファロメオF1チームのスポーティングディレクターを務めるビート・ツェンダーが明かした。2001年、ザウバーはフォーミュラ・ルノーの23戦のみでF3を経験していないキミ・ライコネンをレギュラードライバーに抜擢。4戦限定の仮ライセンスでF1デビューさせた。
しかし、デビュー戦オーストラリアグランプリでいきなり6位入賞を果たし、正式にスーパーライセンスを発給されたキミ・ライコネンは、全17戦中4戦で入賞して9ポイントを獲得し、ドライバーズランキング10位という成績を収め、ザウバーもコンストラクターズランキング4位というF1参戦以来の最高成績でジーズンを終えた。キミ・ライコネンの成功は、ライバルの注目を集めた。マクラーレンは、引退した2回のF1ワールドチャンピオンであるミカ・ハッキネンの後継者として、わずか1シーズン後にライコネンを引き抜きたいと考えていた。ビート・ツェンダーによると、キミ・ライコネンはザウバーと「完全な3年契約」を結んでいたが、ザウバーはドライバーを手放すしかなかったと語る。「彼は続けるよりも辞めたいとはっきり言ってきた。マクラーレンに行くか、辞めるかのどちらかだとね。彼はそれをはっきりさせた」とビート・ツェンダー語る。少なくとも、マクラーレンはザウバーに損失を金銭的に補償した。「そして、金銭的な補償を受けて、風洞を建設した」とビート・ツェンダーは明かした。ヒンウィルにある風洞は、長い間最先端と見なされ、今日でも最高のモデルの1つとなっている。当時、ザウバーの風洞は5500万ドル(約74億円)を投じて建設されたと報じられている。キミ・ライコネンは18年後にヒンウィルのチームに戻ってきた。2019年、彼のキャリアの晩秋に、元F1ワールドチャンピオンは現在ではアルファロメオF1と呼ばれるチームに戻った。だが、ビート・ツェンダーは、一部の領域では以前のキミ・ライコネンとまったく同じではなかったことを認めた。「彼が失ったのは、予選のスピードだった」とビート・ツェンダーは語った。「若い頃の彼は、最速の予選通過者の一人だった」「それは年齢の問題です。42歳になると、20 歳のときよりも少し早くコーナーが現れる」とビート・ツェンダーは笑った。それでも、キミ・ライコネンはレースでの輝きは失っていなかった。「レース中にキミと話すことはあい。彼はすべて自分で話す」とビート・ツェンダーは語った。「バックグラウンドのエンジンエンジニアが使用するエンジン設定を決定する前でさえ、ライコネンはそれを自分で実装していた」「私にとって、彼は最も賢いレーサーの一人だ。彼はレースを読むことができ、いつ防御し、いつプッシュし、いつ誰かにオーバーテイクさせるのが良いかを正確に知っていた」2021年シーズン限りでF1から引退したキミ・ライコネンは、今週末、ワトキンス・グレンのロードコースで開催されるNASCARカップ・シリーズで引退後初のレースに挑む。
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