元レーシングドライバーでF1チームオーナーだったギ・リジェが死去した。享年85歳。1930年にフランスのヴィシーで生まれたギ・リジェは、1940年代後半に地元ヴィシーの肉屋で手伝いとして働いていた頃にラグビー選手として名を挙げ、フランス代表にも選ばれている。その後、フランスの高速道路システムの開発で重要な役割を果たし、建築業を始めた。
その後、モータースポーツに進出したギ・リジェは、2輪のキャリアをスタート。1959年と1960年にフランス国内でタイトルを獲得。続いてエルヴァと共にフォーミュラ・ジュニアに参戦し、1960年代後半にポルシェのスポーツカーに進出。1964年のル・マン24時間レースではポルシェ904をドライブした。35歳の1996年にF1モナコGPでF1デビュー。クーパー・マセラティを走らせた。1968年にはジョー・シュレッサーと組んで2台のマクラーレン製フォーミュラ2カーを購入したが、ジョー・シュレッサーはその年のF1デビュー戦となるF1フランスGPで事故死し、リジェは引退を決意。F1では12戦を戦い最高位は8位だった。その後、リジェはレーシングカーを製作することを決意し、ミッシェル・テツを起用してリジェ・JS1を製作。1974年末にリジェはマトラ・スポーツの資産を購入しコンストラクターとしてF1へ進出した。1976年にジャック・ラフィットを起用して参戦を始め、F1イタリアGPで初ポールポジションを獲得。翌年のスウェーデンで初優勝を収めた。リジェは、9回のポールポジションと9勝を上げ、1980年にはコンストラクターズ選手権を2位で終えている。1980年代は低迷したが、1996年にオリビエ・パニスがF1モナコGPで15年ぶりに優勝している。だが、リジェは、1992年にシリル・ド・ルーブルにチームを売却。その4年後には、アラン・プロストがチームを購入し、プロスト・グランプリと改名された。