メルセデスGPは、メルセデス・ベンツを象徴する伝統の“シルバー・アロー”のF1マシンで2010年のF1シーズンに挑むことを発表。シルバー・アローの誕生は、現代のF1グランプリが始まる前の1934年まで遡る。その年、最大重量750キログラムというグランプリカーの新しい車両規定がスタートした。メルセデスは、6月の国際アイフェル・レースにアルミボディを採用した“W25”を送り込む。当時のグランプリでは、各チームがマシンにそれぞれの国のナショナルカラーを施しており、メルセデスW25はドイツのナショナルカラーである白色に塗られていた。
しかし、レース前日の車検で純白のW25の重量は、規定の750キログラムをちょうど1キログラムオーバーしていた。当時メルセデスチームの監督を務めていたアルフレート・ノイバウアは、ファクトリードライバーであるフォン・ブラウヒッチュの「これではみんなが顔に泥を塗られてしまいますよ」の“塗る”という一言にひらめき、急遽メカニックたちにボディのすべての塗装を剥がし取ることを指示。作業は夜を徹して続けられた。翌朝、純白のボディカラーを脱ぎ捨て、アルミの地肌そのままで再び計量にやってきたW25は、規定重量ちょうどで計量をパス。そして、フォン・ブラウヒッチュがドライブするシルバーに輝く“銀の矢(シルバー・アロー)”は、ニュルブルクリンクのコースレコードまで更新して完全勝利を収めたのだ。それ以降、メルセデスのレーシングカーはシルバーがトレードマークとなり、シルバー・アローの愛称で呼ばれるようになる。モータースポーツにおけるドイツのナショナルカラーも、白色からシルバーへと変更になった。現在シルバー・アローを継承しているのはマクラーレン。1995年からメルセデス・エンジンを搭載したマクラーレンは、1997年にマールボロとのパートナーシップが終了したのを期に赤白のカラーリングから銀と黒を基調に赤をアクセントに用いるカラーリングに変更。ロン・デニスは否定しているが、これはメルセデスのシルバー・アローを意識しての変更と考えられている。それ以降、シルバー・アローはマクラーレンの代名詞となった。今回のメルセデスのフルワークス参戦にともない、メルセデス・ベンツとマクラーレンは袂を分かつことになったが、マクラーレンは2015年までメルセデスとのエンジン契約を延長。来年もシルバー・アローを継続していくことを発表した。今後、ワークス体制をしくドイツの本家メルセデスGPと分家マクラーレンとの“シルバー・アロー対決”が激化していくのは必至。そこに跳ね馬フェラーリの“赤”と闘牛レッドブルの“青”が絡むであろう2010年のF1は新たな時代を迎えるに違いない。 関連:・メルセデスGP誕生!メルセデス・ベンツがブラウンGPを買収・マクラーレン、メルセデス・ベンツとの合意を歓迎