ケビン・マグヌッセンは、2014年にマクラーレンではなくフォース・インディアでF1デビューを飾るはずだったと明かした。マクラーレンのジュニアドライバーとして2013年にフォーミュラ・ルノー3.5でチャンピオンを獲得したケビン・マグヌッセンは、当時マクラーレンのCEOを務めていたマーティン・ウィットマーシュによってF1への昇格が決定されたが、それはマクラーレンではなかったという。
「実際、フォース・インディアに行くことになると思っていた」とケビン・マグヌッセンは Beyond the Grid で語った。「契約を結んだわけではなかったけど、フォース・インディアでレースをすること、そして、マクラーレンが彼らに何らかのものを供給することでしっかりと握手を交わしていた」「マクラーレンは僕を数年間フォース・インディアに乗せて、そのあと僕を連れてくるという契約になるはずだった」「でも、そのあとウィットマーシュが出ていって、ロン(デニス)がやって来た。彼は多くのものを変えたいと思っていた。そして、変えたことのひとつが僕だった」こうして、ケビン・マグヌッセンはマクラーレンからF1デビューを果たし、初レースとなった開幕戦オーストラリアGPでは、チームメイトのジェンソン・バトンを上回って3位でフィニッシュ。2位でフィニッシュしたダニエル・リカルド(レッドブル)が失格となったことで、2位表彰台という華々しいデビューを飾った。だが、その後は残念ながら、残りのシーズンでトップ5フィニッシュを1度だけとなり、ドライバーズ選手権10位で2014年シーズンは終わった。「ペレスの代わりにマクラーレンのシートを獲得したことにはもちろん満足していたけど、翌年フォース・インディアが3~4回表彰台を獲得したのに対し、僕たちは1回だけだった」とケビン・マグヌッセンはコメント。「フォース・インディアに行くのは悪いことではなかっただろう。でも、当然ながらかなり興奮していた」しかし、2015年の初めのマクラーレンの取締役会 - ロン・デニス、マンスール・オジエ、バーレーンのソブリンファンド、マムタラカト・ホールディング - の投票により、ジェンソン・バトンではなくケビン・マグヌッセンがフェルナンド・アロンソの加入によってF1シートを喪失することになった。「彼らは投票することになっていたし、誰が私に投票して、誰がしないかは知っていた」とケビン・マグヌッセンはコメント。「結局、9人が投票した。7人が僕に投票し、2人がジェンソンに投票した。その2票は2つのオーナーであるマンスールとマムタラカトであり、それで十分だった」「彼らはロンと大いに闘っていた、とにかく彼らはロンをめちゃくちゃにしたかったし、ロンが望んだことに逆らうつもりだった」ケビン・マグヌッセンは、マクラーレンの内部権力闘争の駒となり、2015年のF1シートを失うことになった。2015年にマクラーレンのサードドライバーを務めたケビン・マグヌッセンは、2016年にルノーに移籍。2017年からはハースF1チームに移籍して今に至る。
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