ニコ・ヒュルケンベルグが待ち望んだ瞬間は、2025年F1イギリスGPでついに訪れた。キャリア15年、239戦目にして、ヒュルケンベルグが初のF1表彰台を獲得。長年「表彰台未経験の最多出走ドライバー」として知られていた彼が、ついにそのレッテルを覆した。サウバーのジョナサン・ウィートリー代表が、祝賀ムードに沸くガレージを離れてメディア対応に応じていた時、壁の向こうからは「ニコが燃えてるぞ!」と叫ぶチームメンバーの歓声が響いていた。
今季のサウバーは、2026年のアウディへの完全移行に向けた過渡期にあり、前年はコンストラクターズ選手権で最下位、無得点に終わったチームだ。表彰台など夢のまた夢と思われていた。実際、ガレージには祝杯用のシャンパンすら用意されておらず、メルセデスとアストンマーティンが追加で持ち込んでくれる始末だった。ヒュルケンベルグ本人もまた、この瞬間を永遠に迎えられないかもしれないと感じていたとしても不思議ではない。「長い時間がかかったね」と、レース後にヒュルケンベルグは感慨深げに語った。「でも、自分の中にあると信じていた。チームにも、僕自身にも、それだけの力があると」彼のキャリアは、F1における最も不運で説明しがたい記録のひとつとして語られてきた。2010年のデビュー戦から15年、多くのチャンスを逃し続け、ようやく手にした初表彰台。まさに“運命がようやく報われた”瞬間だった。ウィートリーは4月1日にサウバー代表に就任したばかりだが、彼は以前からヒュルケンベルグの才能を高く評価していた。「信じられないよ。これまでずっと表彰台を取れていなかったことが不思議なくらいだ」とウィートリー。「今日の彼は完璧だった。私にとってはずっと特別な才能だと思っていたし、今ここでそれを証明してくれた」F1には“もう少しで成し遂げられそうだった”選手たちが数多くいる。だが、ヒュルケンベルグはそのなかでも群を抜いていた。2010年のブラジルGPでのポールポジション獲得など、才能の片鱗は随所に見せていたにもかかわらず、表彰台に一度も立てないままだった。ジュニア時代には、当時同年代だったセバスチャン・ベッテルを打ち負かしていた。F1への期待値は極めて高かった。A1GP、フォーミュラBMW、GP2(現F2)でのタイトル獲得歴も、その才能を裏付けていた。「久しぶりだったけど、表彰台の立ち方は覚えていたよ!」と、ヒュルケンベルグはレース後の記者会見で冗談交じりに語った。「ジュニア時代は何度も立ってたしね。あとはずっと待たされてただけ」その才能は、現役のF1ドライバーや関係者の間でも疑う者はいなかった。優勝4回の現王者マックス・フェルスタッペンも、チェッカーフラッグ後にガレージ前でヒュルケンベルグへ拳を突き上げ、喜びを分かち合った。元チームメイトのカルロス・サインツJr.は、「彼は常にトップ5のドライバーだった」と評価。「レースの進め方が抜群なんだ。今回の表彰台で、みんな黙らせることができて嬉しいよ」フェルナンド・アロンソも「彼にはいつもまともなクルマがなかった。それだけだ」とコメントした。表彰台未経験の最多出走記録は、これでエイドリアン・スーティルに移った。その数128戦。ヒュルケンベルグの記録は292戦だった。いかに異常な長さだったかがよくわかる。チャンスを逃す不運は、常に彼につきまとっていた。2012年ブラジルGPではトップを走行中にルイス・ハミルトンと接触してリタイア。2016年モナコでは、ピット戦略のミスでセルジオ・ペレスに表彰台を奪われた。2019年ドイツでは、地元ファンの前でリードを奪うも、雨に滑ってリタイア。この時点で既に「最多未表彰台記録」は彼のもので、その瞬間は象徴的ですらあった。ある記者は、2019年ハンガリーGPのメディアデーで「その記録が精神的に影響しているか」と問うたが、ヒュルケンベルグは長い沈黙の末、険しい表情でそれを跳ね返した。彼がその話題を嫌っていたのは当然だ。だが、それだけ“彼ならできる”と思わせる何かがあったということでもある。そして今、その問いを彼に投げかける必要はもうない。イギリスGP前、ある記者が例によってその記録について尋ねたとき、ヒュルケンベルグは「冷めたコーヒーみたいなもんさ」と笑って答えていた。サウバーはここ4戦でレッドブルを上回る得点を記録し、コンストラクターズ選手権でも6位に浮上している。アウディ化が進む2026年に向けて、ヒュルケンベルグのキャリアはようやく春を迎えようとしているのかもしれない。
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