愛車遍歴を辿れば、人生がみえてくる!BS日テレで放送する「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」に2月8日(土)よる9時からの放送では、ホンダで長年、エンジン開発に携わった浅木泰昭をゲストにお迎える。入社2年目でF1開発チームに大抜擢された浅木泰昭。当時の苦労や市販車への技術導入など、開発者視点でたっぷり語る。
市販車では、業界に旋風を起こしたオデッセイや、ロングセラーとなった人気軽自動車N-BOXの開発にも従事。F1と軽自動車の意外な共通点に、MCのおぎやはぎもただただ感心するばかり…。■「楽しくて、苦しい」F1開発番組ではこれまで日産、トヨタ、マツダと、各社の開発者が登場し、技術とその熱に驚きの連続だったおぎやはぎ。今回は本田技術研究所で長年、エンジニアを務めた浅木泰昭が、世界最高峰の技術と向き合った開発者人生を振り返る。実はクルマそのものより、「エンジンみたいなものを作ってみたかった」と、自動車開発の世界に足を踏み込んだという。転機は入社2年目に突然、訪れたという。1982年、ホンダの第2期F1活動で、エンジン開発を担当。当時を「楽しくて、苦しい。だって勝てない時に(社内で)どういうふうなポジションになるか、想像してみて下さいよ」と、含蓄のある言葉で振り返る。そんな浅木泰昭の過去の愛車を振り返ってみると、見事にホンダ車がズラリ。矢作兼も「ホンダ社員の鑑だよね」と納得だ。ラインナップの中には、大ヒットしたオデッセイも。小木博明が「革新的ですよね」と称賛すると、浅木氏は「革新的にならざるを得ない背景が…」と、開発にまつわる意外な事実を打ち明ける。■窮地で生まれた逆転の発想F1のような技術で打って出る世界とは裏腹に、実は経営危機にも陥ってきたホンダ。社業のピンチの後には、必ず浅木泰昭の活躍があったようで…。「後で振り返るとね」と謙遜する浅木泰昭だったが、逆転の一手が、まさにオデッセイの開発だったという。会社から突きつけられる、様々な制約。これに合致するような1台を、逆転の発想で生み出したのだという。リーマンショックでクルマがまったく売れなくなった時代に携わったのが、軽自動車の開発だった。当時のホンダは軽自動車の部門で国内4位と後塵を拝しており、浅木泰昭も「不可能命題だと思っていました」と打ち明ける。しかし、あることに気づいたという。「F1と軽の戦い方の考えは、非常に近い」。そんな理念から生み出されたこだわりの数々に、おぎやはぎも目からウロコだった。こうして生まれたのが、2015年から10年連続で軽自動車の販売台数トップとなったN-BOX。女性はもちろん、浅木泰昭からは意外すぎるターゲット層も明かされ、おぎやはぎも言葉を失うのであった。


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