デレック・デイリーの自伝『Serial Survivor』が、大きな反響を呼んでいる。元F1ドライバーとして知られるデイリーは、自身のキャリアだけでなく、1984年の大事故後に苦しんだオピオイド依存や崩壊した私生活まで包み隠さず明かした。デレック・デイリーは1978年から1982年にかけてF1で49戦に出場。ウィリアムズ、ティレル、マーチなど複数チームを渡り歩き、その後はアメリカへ活動の場を移してインディカーや耐久レースで成功を収めた。現在ではインディカードライバー、コナー・デイリーの父として知るファンも多い。
“未加工”で描いた壮絶な人生デレック・デイリーは今回の自伝について、意図的に“飾らない表現”を選んだと説明している。「かなり率直な内容だ。直接的で、時にはショッキングだと思う」「でも、それはフィルターをかけなかったからだ。読者にその瞬間の感情を一緒に体験してほしかった」「旅を共にしてほしかったんだ。だからこそ率直で、だからこそ未加工なんだ」「正直に言えば、何人かは僕が書いた内容に衝撃を受けていた」350km/h超の大事故とオピオイド依存本の中でも特に衝撃的なのが、1984年のインディカー事故後の薬物依存についての記述だ。ミシガン・インターナショナル・スピードウェイで、デイリーのマシンは350km/h以上でウォールに激突。マシンは大破し、デイリーは足首粉砕、骨盤骨折、肋骨骨折、火傷など重傷を負った。14回の手術と長期リハビリを経て復帰したが、本当の苦しみはその後に始まった。デイリーは鎮痛剤への依存について、極めて生々しく記している。「渇望感はあまりにも酷く、うめき声を上げ、ときには苛立ちで叫んだ」「一時的にでも楽になるから、泣くこともあった」原稿の校正担当者でさえ衝撃を受けたという。「事故後にオピオイド依存に陥った章を読んだ校正担当者は、“これは凄惨だ”と言っていた」「彼らはみんなレースファンだった。でも誰も知らなかったんだ」F1前に経験した“鉱山労働”と薬物体験自伝では、F1以前の知られざる過去も描かれている。若き日のデイリーはレース資金を得るため、西オーストラリアの鉄鉱石鉱山で働いていた。そこでは犯罪者、薬物依存者、暴力が渦巻く過酷な環境に身を置いていたという。さらに、同僚に勧められて初めてアヘンを経験した際の描写も赤裸々だ。「燃えた火かき棒を体の中心に押し込まれているようだった」デイリーは、このエピソードについて「今まで誰にも話したことがなかった」と語っている。3度の離婚と崩壊した私生活本書ではレースだけでなく、3度の離婚を含む私生活についても深く掘り下げている。デイリーは「最も書くのが辛かったのは私生活だった」と認めた。「僕は3回結婚して、3回離婚した。そこには必ず原因と結果がある」当初、序文を書いたF1ジャーナリストのモーリス・ハミルトンからは「ここまで詳細を書くべきではない」と止められたという。しかしデイリーは考えを変えなかった。「苦味や恨みはない。でも、人生で最も精神的に破壊された時期だったからこそ、詳細に書く必要があった」「だから、その感情を残したかったんだ」“Serial Survivor”というタイトルに込めた意味デレック・デイリーは、本を書き終えたことで初めて、自分が何度も人生を立て直してきたことに気づいたという。「何度も横から殴られ、人生を狂わされてきた」「でも、そのたびに前を向いて乗り越えてきた」「どんなことが起きても、自分を脱線させることは許さなかった」「だからタイトルは“Serial Survivor”になった」「倒されても、人はそこで負けるわけじゃない。本当に負けるのは、倒れたまま立ち上がらない時なんだ」F1からインディカー、放送界へデレック・デイリーは1953年にアイルランド・ダブリンで生まれ、フォーミュラ・フォード王者からわずか13か月でF1へ到達した。1977年にはイギリスF3王座を獲得。F1ではウィリアムズ、ティレル、マーチ、エンサイン、セオドール、ヘスケスから参戦し、通算15ポイントを獲得した。F1後はアメリカで再起を果たし、インディカーやスポーツカーで活躍。1990年と1991年にはセブリング12時間レースを連覇した。その後はESPNで放送キャリアを築き、アメリカ・モータースポーツ界を代表する解説者の一人となった。今回の『Serial Survivor』は、単なるレーサー自伝ではなく、“何度壊されても前へ進み続けた男”の人生そのものを描いた作品となっている。Source: speedcafe.com
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