アウディは、F1参戦で“すぐに勝つ”ような幻想を抱いていない。目指しているのは、長期的で多層的な、年単位で積み上げる本格的な挑戦だ。そして何より重要なのは、この難しさを経営陣が完全に理解している点だ。インゴルシュタットのブランドは、これまでもモータースポーツで大胆な挑戦を続けてきた。しかし、F1参戦はそれすら上回る規模の一大プロジェクトであり、ル・マンを制し、ラリーを変革し、ツーリングカーを支配したアウディが“世界最大の舞台”で存在感を示すという宣言にほかならない。
しかし、ミュンヘンで行われた華やかな発表会の裏側には、意外なキーワードがあった。それは――謙虚さだ。華やかな門出と、現実的な姿勢会場には、アウディCEOのゲルノート・デルナー、F1プロジェクト責任者のマッティア・ビノット、チーム代表ジョナサン・ウィートリー、そしてニコ・ヒュルケンベルグとガブリエル・ボルトレトらが登場し、ブランドの歴史を象徴するマシンも披露された。その中で、空気を最も端的に語ったのはウィートリーだった。「これは我々の旅路における、とても重要な瞬間だ」とウィートリーは語る。「アウディが“おもちゃ箱の中身を全部出してきた”ような夜だよ。さっきも、自分の大好きなクワトロ・スポーツを運転して会場に来た。すべてが本当に現実味を帯びてきた」アウディは中途半端にモータースポーツへ参入する企業ではない。研究し、投資し、積み重ねて勝ってきた。しかし、F1はまったく別格だ。ザウバーの中団力を“チャンピオンシップを争える力”に引き上げるのは、世代を跨ぐほどのチャレンジとなる。フェラーリで栄光も混乱も味わったビノットは、その難しさを熟知したうえで、アウディの目標を明確に語った。「計画はできている。競争相手は強いが、我々は成功するために来た。2030年までに世界チャンピオンを獲るつもりだ。それが我々の野心であり、目標だ」5年でF1の頂点に立つ――歴史を刻むか、失敗の象徴になるか。だがアウディ内部に焦りはない。道のりを理解し、その苦しみに向き合う覚悟がある。段階構築、忍耐、そしてゼロから作るパワーユニットノイブルクとヒンウィルを軸に、F1パワーユニットをゼロから開発する巨大プロジェクトが進んでいる。同時に、ヒンウィルのファクトリーも拡張・再編・最新化が進められており、“アウディの名にふさわしいワークスチーム”へと変貌を遂げつつある。だが、過去の新規参入チームのように、経営陣が即時の勝利を要求することはない。ウィートリーは、ボードの姿勢が極めて現実的だと強調する。「アウディのボードは、とても現実的な目標を示してくれた。どれだけ時間が必要なのか、どんな段階を踏むのか、そのすべてを理解してくれている」「まずは土台を作り、成長し、しばらく定着させ、また成長し、また定着させる。この積み重ねを続けることこそが、2030年頃にチャンピオン争いへたどり着く道だ」勢い――これがアウディが今最も大切にしている言葉だ。パワーユニットはすでにダイナモ上で稼働しており、エンジニアは信頼性の確認に全力を注いでいる。一方で、スイスでは初代アウディF1シャシーの製造が進行中だ。ビノットも、規則変更の新たな挑戦を楽しんでいるという。「新レギュレーションのマシンは良い感じだ。数週間後にマシンに火を入れるのは特別な瞬間になる。来年メルボルンでグリッドに並ぶとき、全員にとって忘れられない一日になるだろう。夢はすぐそこまで来ている」ただし、彼は楽観視しているわけではない。「パワーユニットの開発は非常に難しい。シャシーや空力よりも長い時間が必要だ。新規メーカーにとっては特に簡単ではない」挑戦は山積みだが、道筋は明確だ。“アウディらしさ”をF1へ――ブランドの設計思想披露されたアウディ R26コンセプトは、赤・黒・チタンシルバーで彩られ、TV映えを徹底して計算したデザインだった。「ユニークなものを作りたい」とウィートリーは言う。「5年後にF1マシンを見て“それはアウディだ”と言われるように。10年後もそう言われるように。だからこそ、長く続く設計思想を作る必要がある」アウディは“グリッドを飾るため”に来たわけではない。F1の未来に影響を与えるつもりでやって来た。待ち構えるのは、データ地獄、レギュレーションの迷宮、空力の難題、そして新興勢力を叩き潰すつもりの強豪チームたち。しかしアウディには、これまでの新規参入チームが欠いていたものがある。それは――現実に基づき、技術に根ざし、長期戦を恐れない企業文化だ。この計画を着実に遂行できれば、F1は“新しいタイプの巨大勢力”と向き合うことになる。準備に手を抜かず、投資を惜しまず、来るべき瞬間に正確に現れる――そんなアウディこそ、他チームにとって最も厄介な存在となるのかもしれない。