角田裕毅が2026年シーズンに向けてレースシートを失う立場となるなか、F1.comは、過去に一度グリッドを離れながらもF1に復帰を果たしたドライバーたちの物語を振り返る。2026年シーズン開幕戦に向けてドライバーたちがグリッドに並ぶとき、そこに角田裕毅の姿はない。日本人ドライバーはレッドブルでのシートをアイザック・ハジャーに譲ることになった。
角田裕毅は、ミルトンキーンズを拠点とするチームのテスト兼リザーブドライバーに就くことになるが、チーム代表のローラン・メキースは、25歳の角田が将来的に再びチャンスを得る可能性があるとの見方を示している。だが、角田裕毅は、シートを失ったあとに復活を果たした初めてのドライバーではない。以下に挙げる名前は、いずれも同様の状況からF1グリッドへと戻ってきた例である。■ アレクサンダー・アルボン角田裕毅にとって、最良の手本のひとつとなり得る存在がアレクサンダー・アルボンだろう。彼もまた、レッドブルでテスト兼リザーブドライバーへと降格される経験をしたドライバーである。当時トロロッソと呼ばれていた姉妹チームで2019年にF1デビューを果たしたタイ人ドライバーは、同年シーズン途中にピエール・ガスリーとの直接交代という形でトップチームに昇格した。アルボンは、マックス・フェルスタッペンの隣で2020年もシートを維持するだけの成績を残したが、レッドブルはシーズン終了後に変更を決断し、彼の後任としてセルジオ・ペレス(後述)を起用した。アルボンはチームに残り、テスト兼リザーブドライバーという役割を担うことになった。現在29歳となったアルボンは、2020年シーズンでの苦戦によって精神的に「打ちのめされた」と後に認めている。しかし、そのブランクの1年を無駄にすることはなく、人脈を築きながら、2022年にウィリアムズで再びグリッドのシートを得ることに成功した。この移籍は成功を収め、グローブを拠点とするチームで事実上のリーダー的存在として活躍。ウィリアムズはその後も前進を続け、2025年には“ベスト・オブ・ザ・レスト”となるランキング5位に到達している。アルボンは2022年にウィリアムズに復帰した。■ アラン・プロストこのリストに名を連ねるドライバーの中には、グリッドを離れた時点ではまだ自身の名を確立しようとしていた者もいるが、やや異なる例として挙げられるのがアラン・プロストだ。彼は1990年にフェラーリへ加入した時点で、すでに3度のワールドチャンピオンに輝いていた。フェラーリでの初年度となった1990年シーズンでは、ライバルのアイルトン・セナに僅差で4度目のタイトルを逃すという、物議を醸す結末を迎えた。その後1991年になると、チームの競争力低下を背景に、プロストとスクーデリアとの関係は悪化し、フランス人ドライバーは公然とチームを批判するようになった。その結果、プロストはシーズン終了を待たずしてフェラーリから解雇されることとなり、1992年に向けた適切なシートを見つける時間も残されていなかったため、1年間のサバティカル(休養)を余儀なくされた。しかし、「教授」の異名で知られる男の物語は、そこで終わることはなかった。1993年、ウィリアムズのステアリングを握ってF1に復帰すると、FW15Cは圧倒的な支配力を誇るマシンとなり、プロストは歴史的な4度目のワールドチャンピオンに輝いた。これがフランス人ドライバーにとってF1での最終章となり、輝かしいキャリアに幕が下ろされることとなった。プロストの1993年の復帰はフランス人選手に4度目、そして最後の世界選手権をもたらした。■ ニコ・ヒュルケンベルグシートを失った後に与えられたあらゆる機会を最大限に生かしたドライバーという点では、ニコ・ヒュルケンベルグは際立った存在だ。2019年末、F1で9シーズン目を終えたヒュルケンベルグは、ルノーから放出される形で職を失い、チームは2020年に向けてエステバン・オコン(後述)を起用する決断を下した。しかし、2020年シーズンは新型コロナウイルスの影響で短縮されることとなり、その混乱の中でヒュルケンベルグは再びグリッドに姿を現すことになる。レーシングポイントでセルジオ・ペレスとランス・ストロールがそれぞれ感染した際、彼は代役として2戦に出場し、強烈な印象を残した。チームがアストンマーティンとして参戦した2021年も、ヒュルケンベルグはリザーブドライバーとして残留。この年は出番がなかったものの、2022年にはセバスチャン・ベッテルが陽性反応を示したことで、再び2戦に出場する機会を得た。こうした一連の活躍により、ヒュルケンベルグは各チームの注目を集め続け、2023年にハースF1チームでフルタイム復帰を果たす。38歳となった彼は、2025年にキック・ザウバー(将来のアウディ)へ移籍し、シルバーストンで待望のF1初表彰台を獲得した。ヒュルケンベルグは2020年、そして2022年後半に印象的な代役出場を果たし、フル参戦の可能性を高めたようだ。■ ミカ・サロ“ヒュルケンバック”の時代よりはるか以前、代役としての役割を最大限に生かしたドライバーがミカ・サロである。1994年シーズン終盤にロータスでF1デビューを果たしたサロは、その後ティレルやアロウズでレースを重ねたが、アロウズが1999年にラインアップ変更を決断したことで、シートを失うことになった。その後、BARのリカルド・ゾンタが負傷した際にサロは3戦で代役を務めることとなり、さらに大きなチャンスが訪れる。ミハエル・シューマッハがイギリスGPでのクラッシュにより脚を骨折したため、フェラーリは次戦オーストリアGPからサロを後任として起用した。この時、エディ・アーバインがミカ・ハッキネンとタイトル争いを繰り広げており、ドイツGPではサロが首位を走行する場面もあったが、彼はチームオーダーに従いアーバインに道を譲った。それでも2位でのフィニッシュは、自身にとってF1初の表彰台となった。続くモンツァでも表彰台に立ち、アーバインはドライバーズタイトルを逃したものの、サロの貢献はフェラーリのコンストラクターズタイトル獲得に大きく寄与した。この活躍により、サロは2000年にザウバーでフルタイム復帰を果たすことになる。サロは1999年にフェラーリの代役として注目を集めた。■ バルテリ・ボッタス現代F1に話を進めると、ミカ・サロと同じフィンランド出身のバルテリ・ボッタスも、かつてシートを失った後にグリッドへ戻ってきたドライバーのひとりである。ウィリアムズで4年間を過ごした後、ボッタスはニコ・ロズベルグの突...