ギュンター・シュタイナーは、レッドブル・レーシングを離れてアメリカに渡ったことを「人生で最も良い決断だった」と振り返っている。のちにハースF1チームを率いることになるこの選択は、当時の彼にとって必ずしも計画された成功ルートではなかったが、結果的にキャリアと人生を大きく切り開く転機となった。ジャガー在籍時代からフォード撤退後のレッドブル初期まで、シュタイナーはチームの中枢に関わっていた。
しかし組織が拡大する中で居場所を失い、レッドブルのNASCARプロジェクトに参加するためF1を離れる決断を下す。後年、その判断を彼自身は「幸運だった」と語っている。「私にとっては、すべてがうまく噛み合ったんだ」とシュタイナーはFanAmpに語った。「チームには人が多すぎたし、今振り返ると、あの時に去ったのは幸運だったと思っている。アメリカへの扉が開かれたからだ。若い頃からアメリカに住みたいと思っていたけど、就労ビザの問題があって実現できなかった。それが一気に解決した」「一度ここに来たら、もう追い出せなかったけどね。自分の会社を立ち上げて、複合素材の企業を作った。今では300人を雇用する規模に成長している。かなり成功している会社だと思う。それが最終的に、F1チームを作るチャンスにつながった」シュタイナーは、もし同じことをヨーロッパでやろうとしていたら成功しなかったと断言する。「ヨーロッパでは投資家を見つけられなかっただろうし、仮にアメリカの投資家を探そうとしても、距離が遠すぎて現実的ではなかったと思う」「それに、アメリカの文化を理解する必要があった。アメリカ人のビジネスマンと同じ言語で話せるようにならないといけない。ヨーロッパ的な考え方をそのまま持ち込んでも、彼らはビジネスをしてくれない。そういう意味でも、レッドブルを離れたことは、私の人生で起きた最高の出来事だった」その後、2011年からアメリカF1チーム構想を共に進めるジーン・ハースと出会い、シュタイナーはF1参戦を本格化させる。しかし最大の壁となったのは、当時F1の実権を握っていたバーニー・エクレストンを説得することだった。「一番難しかったのは、バーニーに信じてもらうことだった」とシュタイナーは振り返る。「多くの人がチームを作ろうとして失敗していた時代で、彼は『またか』という反応だった。実際、いくつものチームが消え、他も苦しんでいたから、彼はそういう人たちを周囲に置きたくなかった」「バーニーはとても率直だった。だからこそ、これは本当に堅実なプロジェクトなんだと納得させなければならなかった」結果的に、ハースはその時代に新規参入したチームの中で唯一生き残る存在となった。「最終的には、あの世代の中で最も安定したチームになった。だからこそ、最初の説得が一番大変だった」この説得には、F1界の重鎮たちの後押しが欠かせなかったという。「ニキ・ラウダが『ギュンターがやるなら問題ない』と言ってくれた。彼がステファノ・ドメニカリに話し、ステファノも大丈夫だと言ってくれた」当時FIA会長だったジャン・トッドも、レッドブル時代からの信頼関係があった。「彼は私のことを知っていたし、これは能力以上に“信頼”の問題だった。ジーン・ハースが十分な資金を投じていること、そして私がそれを実行できる人間だと分かったことで、状況が一気に動いた」「ニキ、ステファノ、ジャン・トッドの支えがなければ、バーニーは首を縦に振らなかったと思う。さらに、当時FIAのテクニカルディレクターだったチャーリー・ホワイティングも、私を強く支えてくれた。彼は数年前に亡くなってしまったけれど」また、ハースの株式を取得しなかったことに後悔はないのかと問われると、シュタイナーは当時そこまでの資金を持っていなかったと説明する。ただし、チーム価値が急上昇した現在の状況を踏まえると、評価は十分ではなかったと感じている。「もし、5年のうちにチームの価値が数十億ドルにまで跳ね上がると分かっていたら、当然もっと自分の価値を主張していただろうね」レッドブル離脱は、表面的には後退にも見えた。しかしシュタイナーにとってそれは、アメリカでの成功とハースF1誕生へと続く、決定的な一歩だった。