ホンダF1のテクニカルディレクターとして現場の技術陣をまとめる田辺豊治が自身のF1キャリアを振り返った。2018年シーズンの初めに田辺豊治はホンダF1のテクニカルディレクターに就任。ホンダF1は、前年にマクラーレンとのパートナーシップを終え、この年からスクーデリア・アルファタウリ(当時トロロッソ)にエンジン供給を開始。翌年からレッドブル・レーシンツにパートナーシップを拡大した。
しかし、田辺豊治はレース界の新人ではない。マクラーレンとホンダがF1を支配したとき、ゲルハルト・ベルガーのエンジニアを務めていた。「F1で働き始めたとき、私は26歳で、ネルソン(ピケ)とナイジェル(マンセル)の情報エンジニアでした」と田辺豊治は語る。「当時、日本以外での生活の経験はほとんどありませんでした。数年後、我々はマクラーレンにスイッチし、ゲルハルトと仕事を始めました」「後藤さん(当時F1でホンダF1プロジェクトを率いていた後藤治)は「ドライバーとエンジニアは人間の視点でお互いを知る必要がある」というモットーを持っていました。これが我々がゲルハルトのプライベート飛行機に乗ることになったいきさつです」「我々は、ゲルハルトが3位でフィニッシュしたメキシコGPの後、シルバーストンでテストを行いました。その夜、ゲルハルトは我々をオーストリアの山脈にある彼の村に飛行機で連れていき、案内してくれました。お祭りが行われ、テントのなかは大量のビールを飲む人で溢れかえっていました。ゲルハルトにはたくさんの友達がいて、とても楽しい時間を過ごしました」「F1に戻って以来、ゲルハルトはとても親切にしてくれています。いくつかのレースで会ったとき、彼はいつも私に微笑んで『もっとパワーを!』と叫びます。それはすべてのドライバーがエンジニアに言うことです」「また、昨年は公式イベントで一緒になりました。2006年にハンガリー以来、マックスがホンダに勝利をもたらし、コンストラクターズトロフィーを受け取るに表彰台に上がるように言われたのは誇りでした。私はゲルハルトからトロフィーを受け取りました。それは特別なことでした」「一生懸命に働き、いくつか困難な瞬間を乗り越えた末に勝利を収めることができました。レッドブル・サーキットでそれを行い、旧友のゲルハルトと表彰台に立つことは私にとって非常に感動的でした」「オーストリアとオーストリア人を理解しているか? なんと言えいいか分からないです・・・私はフランツ・トストとゲルハルトと一緒に仕事をしているので、なんとも言えないですが、二人とも性格は非常に異なります。保証できるのは、オーストリア人は何かをすることを決心したとき、彼らはそれを100パーセント行うということです!」
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