あなたにとってファンの存在はどれぐらい重要な存在ですか?「まさに重要な存在さ! 僕には最高に素晴らしいファンクラブがある。みんなの雰囲気がとってもいい。でも人々が想像するほど、僕が中心のファンクラブというわけではないよ。もちろん僕のファンクラブだけど、みんなが一緒に楽しめるようになっている。すごくリラックスした雰囲気だしね。僕たちは一緒にカートに乗って、パーティーをするんだ。
もちろんドイツでレースが開催される時には、自然にサーキットでたくさんのファンと会うことができる。その時は心から楽しんでいるし、すごく励みにもなる。そういう観点から考えると、これからドイツで年に1回しかグランプリが開催されなくなるのは、本当に残念だね。でも同じように、こんなにも長い間、1年に2回もグランプリ(ホッケンハイムとニュルブルクリンク)が開催できたのは、とても素晴らしかったと思う。海外のファンは、常にその国の文化やメンタリティーを興味深く映し出している。例えば、アジアのファンは、ひとりでいる時はすごくシャイだしね。ところが、2〜3人が集めってひとつのグループになれば、ドッと押し掛けてくる。そして、すぐに大混乱になる。とても面白いよ。」 2006年、ガールフレンドのパトリシアさんは、あまりレースに来ませんでした。彼女が一緒にいなくて寂しかったですか?「確かにそうだったね。レースの時にはいつも僕のそばに家族、特にパトリシアに一緒にいてもらいたいと思っている。もちろん日中は忙しいけれど、夕方には時間がある。だから、そのことはあまり考えないようにしている。他の問題について話せばいいんだし、それが大事なことなんだ。僕たちの間に娘のユニ──今年の7月で2歳になる──が生まれてからは、彼女にとって必要なことが最優先になっている。赤ちゃんを連れて世界中を旅してまわることはできないし、彼女にとってサーキットのパドックは相応しい場所ではない。パトリシアとユニが来てくれる時は、たいていおばあちゃんが一緒に来て、ホテルでユニを世話してくれる。」あなたは各セッションが終わるたびに、家族に電話をかけて結果を報告していますか?「いや、しないよ。もしアクシデントがあれば、家族みんなの心を落ち着かせるために直接連絡することもある。でもリアウイングのセッティングがどのコーナーでは良かった、ということをパトリシアに話をして、彼女を退屈させたりはしないよ。僕たちはよく電話で話すけど、話題になるのはレース以外のことや、ユニについて。テレビ電話はすごいよ。僕が家にいない時でさえ、娘が初めて歩いた時にどんな様子だったかを、ライブで見ることができるんだから。」あなたが2000年にデビューして以来、F1グランプリは変わっています。また、自分のドライビングスタイルや、仕事への取り組み方にも変化がありましたか?「技術面の変更やルールの改正によって、ドライビングスタイルは影響を受ける。例えば、パワーの落ちたV8エンジンだと、 V10エンジンを使っていた時と比べると、少し異なったコーナーリングをしなければいけない。なぜなら、エンジンを長くもたせないといけないからね。つまり、時々エンジンスピードを落とすんだ。基本的には僕のドライビングスタイルは、何年もかけて洗練されてきた。レーシングカート時代はまだ荒っぽいドライビングスタイルのドライバーとして知られていたけど、フォーミュラ・フォードに参戦する頃までにパーツやタイヤに細心の注意を払うようになっていた。それは今日も変わらない。F1に対する一般的なアプローチは、最初の頃に比べると確かに少しクールになった。F1への初期に抱いた敬意の念は、もう日常になってしまったからね。それから、僕自身で変わったことといえば、夕方はあまり長くパドックに留まらなくなったこと。僕はまだパドックを最後に去るドライバーのひとりだけど、過去にはよく真夜中までパドックにいて、データを詳細に調べていた。でも結局、木を見て森を見ず、なんだよ。細部にこだわって、大局的に見ることができなかった。それに睡眠不足になってしまうからね。」あなたにとって、安全とはどんな意味がありますか?「個人としては、安全とは家族が健康であり、安心して眠れるほどのお金があることだね。でも、個人の生活においても、モータースポーツにおいても、絶対に安全なんてことはない。クルマとサーキットは長い間をかけて、すごく安全になった。でも、まだリスクはある。ホイールが接触したり、雨のレースで視界が悪かったりすると、とても危険な状態に陥ってしまう。誰もが自分でリスクを冒すか、冒さないかを決めなければならない。その点、僕の答えは明白だよ。常にリスクを恐れずに行くだけさ。」
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