フェラーリのシャルル・ルクレールは、親友であり名付け親でもあったジュール・ビアンキの死から10年を迎えるにあたり、その思い出を語った。「最初に思い出すジュールの記憶は、ドライバーとしての彼ではなく、人としての彼なんだ。僕にとっては、レーサーというより“人間・ジュール”として接していた時間の方がずっと長かったからね」
「僕たちは幼い頃からたくさんの時間を一緒に過ごしてきた。家族同士のつながりも深く、今でもとても親しい関係だ。僕の兄とジュールは親友同士だったから、彼はいつも家のどこかにいたよ」「ジュールは僕より8歳年上で、兄と同じくらいの年齢だった。僕が6歳か7歳のとき、彼らの年齢差はとても大きく感じた。でも成長するにつれて、その差はだんだん小さく感じるようになって、ジュールともすごく親しくなった」「思い出といえば、初めてホラー映画を観たときのこと。実はその時、ジュールと一緒だったんだ。彼は僕が眠ってると思ってたみたいだけど、僕は寝たふりをしててね。彼は兄とホラー映画を観たかったらしくて、『こいつ寝たかな?』って確認してた」ジュール・ビアンキはフェラーリ・ドライバー・アカデミーの一員としてF1にステップアップし、2013年と2014年にはマルシャから参戦していた。「ジュールは本当に心の優しい人だった。面白いし、親しくなればなるほど彼の“クレイジー”な一面も見えてくる。いつだって誰かの力になろうとしてたし、楽しむことが大好きだった」「特に印象に残ってるのは、僕が6歳か7歳の頃、初めてレンタルカートで走らせてもらったときのこと。兄とジュールと一緒に走るなんて夢のようだったよ」「普通は子供にはレンタルカートを貸してくれないんだけど、ジュールのお父さんがカート場の運営をしていたから、ちょっと特別扱いしてもらえたんだ。プロのカートドライバーたちもたくさんいたし、本当に楽しかった。カート場が閉まるのを待って、そこから数時間も走りまくってさ」「その頃の思い出は、僕にとって本当に特別なものになっている」「ジュールは、僕がこれまで出会った中でいちばん競争心の強い人だった。その性格は僕にも受け継がれていると思う」「カートのレースだけじゃない。家でやるどんなくだらないことでも、ジュールは勝ち負けに本気でこだわった。何かに負けると本当に悔しがるんだ」ジュール・ビアンキは2015年7月17日、25歳の若さで亡くなった。「彼は何かに自分が劣っていると感じたら、それを補うためにとことん努力するタイプだった。何ヶ月も姿を見なかったと思ったら、ものすごく上達して戻ってくるんだ」「たとえばスカッシュ。最初から彼のほうがずっと上手だったけど、その後何ヶ月かして会ったときには、世界トップ20の選手とトーナメントをやっていて、かなり善戦してた。毎日欠かさず練習していたんだろうね。本当に尊敬するべき姿勢だった」「ジュールは、何事にも全力だった。決してあきらめず、どんなことにも最大限の努力を注いでいた」「彼のことは、トップチームに乗る機会に恵まれなかった“才能にあふれたドライバー”として記憶してほしい。実力のすべてを見せる機会が与えられなかったのは、本当に残念だ」「でも何よりも大切なのは、彼がどれほど素晴らしい人間だったかということ。目を見れば、笑顔を見れば、彼の人柄が伝わってくる。ジュールは、そういう人だった」「優しくて、夢に向かって真摯に努力し続ける人。僕にとってジュールを思い出すとき、最初に浮かぶのは、そういう彼の姿なんだ」#JB17
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