佐藤琢磨は、インディカー 第15戦 ワトキンス・グレンの決勝レースを17位で終えた。1961年から1980年までF1世界選手権アメリカGPの舞台となったワトキンスグレン・インターナショナルでは、1979年〜80年と、2005年〜2010年にインディカーのレースも開催されてきた。
ニューヨーク州西側の山間、フィンガーレイク地方とも呼ばれる緑深いリゾートエリアにたたずむ全長3.37マイルのサーキットはアップダウンに富み、高速コーナーが連続するコースレイアウトだが、コースの舗装が一新されたことで、6年ぶりのレースとなったインディカーのスピードが大幅に上昇。予選トップのタイムは2009年のレコードから一気に5.6秒以上も短縮された。佐藤琢磨(A.J. Foyt Racing)は予選のアタック中にコースアウトしたため、スターティンググリッドは最後尾の22番手だった。後方からのスタートのため、ピットタイミングをずらしてチャンスをうかがう作戦に出た佐藤琢磨は、レース終盤の41周目のリスタートで2番手を走行。ゴールを前に短い給油のためのピットストップを行っても、トップ5でのフィニッシュが狙える位置を走っていた。しかし、終盤のバトルの中でゴール目前の59周目にスピンを喫し、結果は17位でした。佐藤琢磨 (17位)「とてもエキサイティングなレースでした。フルコースコーションが3度出され、結果的に私たちのチームはいい作戦を選べていました。序盤には作戦が裏目に出たこともありましたが、終盤の勝負どころでの判断が正しかったので、上位での戦いに加われました。そこからは激しいバトルが繰り広げられました。ライバルたちの多くは燃料をセーブする必要があり、私たちは上位へと再びポジションを上げていくチャンスを手にしました。残り2周となって、私はさらにポジションを上げるべくアタックしたのですが、シモン・パジェノー(シボレー)と並んでターン7に入ったとき、2人とも普段よりわずかにラインがアウトに膨らみ、タイヤかすに乗ってスピンを喫しました。私のミスでした。言葉もありません。スポンサーやメカニックに申し訳ないです。いい結果がつかめそうだったのに、ゴールまで走りきってそれを手にすることができませんでした」
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