パディ・マクナリーが、長い闘病生活の末、2026年7月22日に88歳で死去した。元『Autosport』記者でありながら、後にF1の商業的発展を支えた中心人物のひとりとして知られている。バーニー・エクレストンと緊密に協力したマクナリーは、サーキットごとに個別運営されていた広告や接遇サービスを世界規模の商品へと再構築した。現在のF1で当たり前となっているトラックサイド広告やパドッククラブは、その功績を象徴する存在である。
FIAがF1の商業的成長への貢献を称賛FIA(国際自動車連盟)は、マクナリーが元F1最高責任者のエクレストンと長年にわたって仕事をし、F1の商業的成長において「重要な役割を果たした」と追悼した。マクナリーは表舞台に姿を現すことは少なかったが、各グランプリがそれぞれ独立して運営されていた時代のF1を、スポンサーや企業ゲストに対して統一された価値を提供する世界的なスポーツ商品へと変えることに貢献した。F1ではドライバーやチーム代表が注目を集める一方で、マクナリーはその周囲にある商業的な仕組みを設計した人物だった。レーシングドライバーからAutosport記者へマクナリーとモータースポーツとの関わりは、競技者として始まった。1960年代にスポーツカーレースへ参戦した後、『Autosport』のジャーナリストとして活動し、グランプリ担当記者としてF1を転戦した。取材活動を通じて築いたパドック内の人脈と知識は、その後のビジネスキャリアの基礎となった。当時のF1は現在よりも関係者同士の距離が近く、マクナリーの記事は、その親密でありながら危険と隣り合わせだった時代を記録している。1968年モナコGPではリチャード・アトウッドがグラハム・ヒルを追う展開を伝え、1971年モナコGPではロニー・ピーターソンを際立ったパフォーマーとして評価した。また、クレイ・レガツォーニをはじめとするドライバーたちの妥協を許さない振る舞いについても率直に記した。マールボロのスポンサー活動とジェームス・ハント第一線のジャーナリズムから離れたマクナリーは、マールボロのスポンサーシップ・コンサルタントへと転身した。親交の深かったジェームス・ハントのマネジメントにも関わり、同時にエクレストンが進めていたF1の商業的再編にも深く携わるようになった。当時のF1では、各サーキットが広告スペースを個別に販売していた。マクナリーは、この断片的な仕組みを統合し、シーズンを通じた世界規模の広告パッケージとして販売する構想を推進した。トラックサイド広告を世界規模の商品に転換マクナリーの最も大きな功績は、ジュネーブを拠点とするオールスポーツ・マネジメントを通じた事業だった。同社は、各グランプリのトラックサイド広告をまとめて管理し、F1世界選手権全体を対象としたスポンサー商品として企業に提供した。広告看板は、拡大を続けるテレビ中継で最大限に映り込むよう配置やデザインが調整された。これにより、サーキットごとの地域的な広告取引は、世界中の視聴者にブランドを訴求する一貫した国際商品へと変わった。現在のF1中継で見られる、コース脇やランオフエリア、ピット周辺に統一されたスポンサー広告が並ぶ形式は、マクナリーが確立したビジネスモデルを源流としている。1984年にF1パドッククラブを創設マクナリーは1984年、F1パドッククラブを創設した。開始当初は野心的な販売目標を達成できず、事業として苦戦した。それでもマクナリーは、グランプリが世界的な一流スポーツイベントに匹敵する企業向けホスピタリティを提供すべきだという考えを貫いた。パドッククラブはその後、上質な観戦環境や食事、管理されたパドックへのアクセスを組み合わせたF1の主要商品へと成長した。スポンサー企業は顧客や取引先を招待できるようになり、F1は単なるモータースポーツイベントにとどまらず、国際ビジネスやエンターテインメント業界の関係者が集まる交流の場としての地位も確立した。現在ではパドッククラブは、F1の商業モデルに欠かせない高価格帯のホスピタリティサービスとなっている。オールスポーツを約250億円超で売却マクナリーは2006年、オールスポーツを当時のF1オーナーだったCVCキャピタル・パートナーズへ売却した。売却額は2億5000万ポンド(約500億円)を超える規模だったと報じられている。マクナリーは売却後も事業の責任者を務め、2011年に引退した。巨額の資産とF1界における強い影響力を持ちながら、マクナリーは意図的に控えめな公的立場を維持した。パドック内では、寛大で頭の回転が速く、ユーモアに富んだ人物として記憶されている。現在のF1に残るパディ・マクナリーの功績マクナリーには息子のロロがいる。もうひとりの息子ショーンは、2026年初めに死去していた。F1の目に見えるドラマを生み出すのはドライバーやチームだが、その競技を世界的なビジネスとして成立させる環境を整えた人物のひとりがマクナリーだった。世界中のサーキットに掲げられる広告看板や、企業ゲストを迎える特別なホスピタリティ施設は、現在ではグランプリに欠かせない存在となっている。F1をスポーツと国際ビジネスが交差する巨大な商業プラットフォームへと変えた仕組みは、パディ・マクナリーが残した永続的な遺産である。