F1公式サイトが、ニキ・ラウダの伝説を綴った動画を公開した。3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが5月20日(月)に70歳でこの世を去った。ニキ・ラウダは、1976年にレース中の事故で大やけどを負いながら6週間後に“奇跡の復活”を遂げ、“不死鳥”と呼ばれた。
1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。後に「恐怖心を消し去ってレースをできるようにするため、早めに出場することが最良と考えた」と語っている。その年はジェームス・ハントと1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得。通算25勝、54回の表彰台、24回のポールポジションとファステストラップという戦歴を残した。1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。映画のプロモーションで来日した際、一番好きなシーンについてニキ・ラウダは「ニュルブルクリンクで大事故を起こした後、入院しているところですね」と語っている。「あのシーンでは、(瀕死の重傷から)まさに自分が、生きるために戦っているところ、妻や周りの人間が、あの時の私をどう見ていたのか知ることができましたからね。・・・その後レースに復帰して、記者会見を行ったのですが、人々は私をショッキングな目で見ていました。インタビュー中も、私の目を見てくれないんです。顔のやけどにばかり目が行っていました」ニキ・ラウダの訃報を受け、F1のCEOを務めるチェイス・キャリーは「ニキ・ラウダ逝去の報を非常に悲しく受け止めています」と述べた。「F1は真の偉大なる主導者の1人を失っただけでなく、ヒーローの1人を失いました。彼が示したレースや仲間たちに対する愛情は何にも変え難く、多くのファンを魅了しました。彼の死はF1界全体にとって大きな損失であり、モータースポーツ界全体にとっても大きな損失です。彼のご家族に謹んで哀悼の意を表します」OO.ready(function() {window.pp = OO.Player.create("player", "B5bnh0aDE6NCIA6Bhc9l2oXt1HeUKxx4");});
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