8月9日(日)にアメリカにあるインディアナポリス・モータースピードウェイにて開催された「2015FIMロードレース世界選手権シリーズ第10戦インディアナポリスグランプリ」のMotoGPクラスにおいて、Honda RC213Vを駆るマルク・マルケス(Repsol Honda Team スペイン)が優勝。この勝利によってホンダは、1961年にFIMロードレース世界選手権シリーズ第1戦スペイングランプリ125ccクラスでHonda RC143を駆るトム・フィリス(オーストラリア)が初勝利を挙げて以来、前人未到の通算700勝を達成した。
決勝当日をホンダ通算698勝で迎えたインディアナポリス・モータースピードウェイ。Moto3クラスの決勝レースは小雨が降る不安定な天候の中でスタート。トップライダーのほとんどがレインタイヤを選択する中、ホンダ NSF250RWを駆る若干18歳のリビオ・ロイ(RW Racing GP ベルギー)はスリックタイヤを選択。他の選手がタイヤ交換を余儀なくされる中、安定した走行でMotoGP初優勝を飾り、ホンダにとっての通算699勝目を記録した。続くMotoGPクラスの決勝レースは、レース終盤に小雨も降る不安定な天候の中での開催となった。ポールポジションからスタートしたマルク・マルケスは序盤からトップと0.5秒以内に接近した展開で2番手を維持。残り3周(24周目)となったところでトップを奪うと、そのまま後続を引き離し、前戦ドイツグランプリに続く2連勝(今シーズン3勝目)を飾った。この結果、ホンダはFIMロードレース世界選手権シリーズにおける通算700勝を達成した。ホンダは1954年に創業者の本田宗一郎が、“世界一への夢の達成”を目指して当時のロードレース世界選手権最高峰の「マン島TTレース」への出場を宣言。その後5年を費やしてマシンを開発し、1959年に日本の二輪車メーカーとして初めて「マン島TTレース」に出場した。そして、翌1960年からFIMロードレース世界選手権シリーズの125ccと250ccクラスに参戦を開始。1961年の開幕戦スペイングランプリでトム・フィリス選手が優勝を飾り、ホンダ 700勝に向けた歴史的な扉が開かれた。その後ホンダは参戦クラスを350ccクラス(1962年)、50ccクラス(1962年)、500ccクラス(1966年)へと拡大し、1966年には全5クラス制覇を達成。当時のホンダはレースへの参戦を“走る実験室”と考え、勝利に向けて開発した新たな技術を市販の二輪車に還元。二輪車の完成度を飛躍的に向上させ、市場からの支持を拡大していった。その後、1967年のワークス活動を最後に、通算138勝の記録を残して1968年から11年間は参戦を休止した。そして、1979年にホンダは再びFIMロードレース世界選手権シリーズ500ccクラスに復帰。3年後の1982年には第7戦ベルギーグランプリにてホンダ NS500を駆るフレディ・スペンサー(アメリカ)が優勝し、ホンダは復帰後の初勝利を飾った。その後は再び参戦クラスを125ccクラス、250ccクラスにも拡大して勝利を重ねた。その結果、2001年には開幕戦の日本グランプリ500ccクラスでホンダ NSR500を駆るバレンティーノ・ロッシ(イタリア)が勝利してホンダ通算500勝を達成した。また、2005年には第15戦オーストラリアグランプリ250ccクラスでホンダ RS250RWを駆るダニ・ペドロサ(スペイン)が勝利してホンダ通算600勝を達成している。八郷隆弘 (本田技研工業株式会社 代表取締役社長)「Hondaがロードレース世界選手権で700勝を達成したことを誇りに思います。この記録は、数え切れないほどの方々の協力と、多くのHondaを応援していただいたファンの方々の支援によって達成できました。皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。これからもHondaは世界一の夢の達成を目指して頑張りますので、応援よろしくお願いいたします」マルク・マルケス (優勝)「レースはとてもうまくいきましたが、限界の走りを強いられました。ホルヘ(ロレンソ)は、決勝に向けて大きく前進したようで、ペースが上がりました。正直、1分32秒台でこれほど周回するとは思っていませんでした。レース終盤になっても、1分32秒6までタイムを上げていましたし、本当に速かったです。そのため、ラスト3周でアタックする作戦に切り替えました。このサーキットでは理想的な作戦だったと思います。また、今日の優勝がHondaの700勝目となり、すばらしい記録を打ち立てたことを誇りに思います。すべてのチームにとって特別な瞬間でした。今日の優勝は、Hondaに関わるすべての人に捧げたいです」ダニ・ペドロサ (4位)「ハードなレースでした。最後まで体力勝負になりました。グリップが難しく、マシンとの格闘が続きました。それにしても、バレンティーノ(ロッシ)の走りには驚きました。マルクやホルヘに比べて自分のペースが少し遅いのは分かっていましたが、予選のあとはかなり近づいたと思っていました。しかし、バレンティーノがさらに大きく前進したので、彼と表彰台争いをしなければなりませんでした。最終ラップの2コーナーでパスされたあと、抜き返すことができませんでした。今日のレースで、Hondaが記念すべき700勝目を達成し、とてもうれしいです。このような記念すべきレースに参戦できて誇りに思います」
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