アイルトン・セナのF1キャリアを歴代のF1マシンとともに振り返る。1994年のF1サンマリノGPでの悲劇的な死から30年が経った。1984年にトールマンでF1デビューを果たしたアイルトン・セナは、ロータス、マクラーレン、ウィリアムズに所属し、161戦に出走。65回のポールポジションを獲得、41勝を挙げて、3度のワールドチャンピオンを獲得した。
トールマン TG183B ハート (1984年) 1984年、トールマンでF1デビュー。初戦はリタイアに終わったが、第2戦南アフリカGPで6位に入り、初の入賞を記録した。続く第3戦ベルギーGPでも6位入賞を果たした。トールマン TG184 ハート (1984年) 第5戦フランスGPからTG184を投入。雨のモナコGPでは2位でフィニッシュし、自身とトールマンに初の表彰台をもたらした。ロータス 97T ルノー (1985年) 1985年にロータスに移籍。第2戦ポルトガルGPで自身初のポールポジションを獲得。雨となった決勝では念願のF1初優勝を果たす。第10戦オーストリアGPから5戦連続で表彰台を獲得。第13戦ベルギーGPでは自身2勝目を挙げた。ロータス 98T ルノー (1986年) 第2戦スペインGPと第7戦デトロイトGPで優勝、8度のポールポジションを獲得した。ロータス 99T ホンダ (1987年) ホンダエンジンを獲得したロータス。第4戦モナコGP、第5戦デトロイトGPで2連勝。3位でシーズンを終える。チームメイトは中嶋悟。マクラーレン MP4/4 ホンダ (1988年) マクラーレンに移籍。チームメイトのアラン・プロストと激しいバトルを展開。16戦中8勝、13回のポールポジションを獲得し、自身初のタイトルを獲得した。マクラーレン MP4/5 ホンダ (1989年) 初めてカーナンバー1を付けたシーズン。アラン・プロストとの溝は決定的となり、第15戦日本GPでトップ争いの両者はシケインで接触。レース後に失格処分となった。マクラーレン MP4/5B ホンダ (1990年) フェラーリに移籍したアラン・プロストとタイトルを争い、2度目のワールドチャンピオンを獲得。タイトルを決めた第15戦日本GPでは、スタート直後にアラン・プロストと接触。後に故意であったことを認めている。マクラーレン MP4/6 ホンダ (1991年) 開幕4連勝を記録。第2戦ブラジルGPでは、ギアボックストラブルで終盤に6速のみとなるも念願の母国初優勝を達成。3度目のチャンピオンを獲得した。マクラーレン MP4/6B ホンダ (1992年) 第2戦まで前年のMP4/6に改良を加えたMP4/6Bを使用。マクラーレン MP4/7A ホンダ (1992年) ウィリアムズ FW14Bが圧倒的な強さを見せたことで予定より大幅に前倒しして第3戦ブラジルGPよりMP4/7Aを投入した。リタイアが多く、4位でシーズンを終える。マクラーレン MP4/8 フォード (1993年) ホンダのF1撤退に伴い、マクラーレンはフォードのカスタマーエンジンを搭載。最終戦オーストラリアGPでの勝利が生涯最後の勝利となる。ウィリアムズ FW16 ルノー (1993年) 前年のチャンピオンチームであるウィリアムズへ念願の移籍。しかし、ウィリアムズの強みであったアクティブサスペンションやトラクションコントロールが禁止となり、エイドリアン・ニューウェイが設計したウィリアムズ FW16は空力を重視したナーバスなマシンとなった。3戦連続となるポールポジションからスタートした第3戦サンマリノGP。首位を走行中の7周目、タンブレロで時速312kmでコースアウト。コンクリートウォールに激突し、帰らぬ人となった。享年34歳。